+-++-++ ケース1.[食べることは実験だ] ++-++-+
 
 
 
 はじめまして、こんにちは。わたし、フミといいます。
 ここのところずいぶん寒くなってきましたね。ヌクヌクの布団から出なきゃいけないなんて、この世の地獄かと思っちゃいますよ。でももっと寒い地域もあるんだし、我慢我慢と――あ、わたしは東京郊外の1LDKのマンションで暮らしています。二人暮しです。
 わたし以外の居住者は、理平くん。理平くんは、わたしの恋人です。
 
 
 ポクポクポク…
 
 突然、とっても不思議な音がしてきました。
 洞窟で魔王と戦っていたわたしは、桃色のマント姿の魔王に向けて手を突き出し、『待った』をかけて、その音に耳を傾けました。
 なにかしら、なにか魔法の効果音?
 
 ポクポクポク…
 
 不思議な音。どこかで聞いたことのあるような……。
 わたしも魔王も、耳を傾けていました。すると次の瞬間、魔王がトロトロと蝋燭のように溶け始めたのです。
 やった、わたしは勝ったのね。
 そんな充実感も束の間、今度はポクポク音が大きくなり、洞窟全体が地響きで揺れ始めました。
 なに、なに、なんなの?
 
 
 強い疑問がわたしの中を吹き抜けていった瞬間、パチリと目蓋が開きました。白い壁が見えます。
「……あれ?」
 ベッドの中で目をこすった途端に、背後から笑い声が聞こえてきました。
 理平くんです。
 ジーンズにセーターという部屋着姿の理平くんが、抑えても抑えても溢れ出てくる笑いで悶え苦しんでいるような顔をしています。
「………?」
 どうしてそんなに笑っているの。わたしが疑問を口にする前に、理平くんは大きな口を開けて笑い始めました。
「面白い、面白かったよ。人間の脳って眠っている間にも活動しているって本当だね。これを叩くと、その音に反応して、フミが百面相をするんだ」
 理平くんが大きな手に乗っけて出してきたのは、小さな太鼓でした。叩くと木魚のような音がします。
「フミ、どんな夢をみてた?」
「………」
「この音ってさ、夢にも影響があった?」
「………」
「音を大きくしたら、フミ、こっちに背中を向けるんだもんな」
「………」
「な、どうだった? 頼むから教えてよ」
 ポクポク。
 理平くんが太鼓を叩きます。
 なんだかもう、わたしもピンクマントの魔王のように、トロトロと溶けていきそうに脱力しました。
「あのねぇ」
「うん、なに?」
「………」
「なに?」
「……その太鼓、どうしたの?」
「100円ショップで買ってきた」
「……わざわざ?」
 人が寝ている横で太鼓を叩いて、どんな風になるのか実験するためだけに?
 そんな言葉は飲み込みます。言ったら険悪ムードになっちゃいます。その程度のことは分かっています。理平くんとの付き合いは、もう4年目なので……。
 文句の代わりにため息を吐いて、布団から出ました。出た途端に、ぶるりと身体が震えるくらいの冷気が―――
「今日、すっごく寒いねぇ」
「冬だからね」
「………」
「それで、夢みてた? 何か影響あった?」
「知らない!」
 ほんのちょっとのイライラとカーディガンを抱えて、わたしは寝室を出て洗面所に行きました。
 
 もう、もう、もう。
 理平くんの頭の中には、エアコンをつけて部屋を暖かくするって項目はないのかなぁ。太鼓なんて叩いてないで。
 もうっ。
 不思議なことに、さっきはほんのちょっとのイライラだったのに、理平くんの顔が見えなくなった途端に何倍にもイライラが増えました。
 わたしはムウッと頬を膨らませた顔に、バシャバシャ水をかけて洗いました。それでイライラが流れ落ちてくれますように、なんて思いながら。
 
 顔を洗ったわたしがリビングに行くと、まだ理平くんは太鼓をポクポク叩いています。しかも、とっても真剣な顔で……。
「なぁ、今度は俺が寝ている時に、フミがこれを叩いてみてよ。で、すぐに叩き起こして、どんな夢を見ていたか聞いてみて欲しいんだけどな」
「………」
 理平くんは、理系な人です。日本語が変だと分かっていますが、他に表現の仕様がないのです。
「理平くん、生物は嫌いだったんじゃないの?」
「そう、昔は興味なかったんだけどね、フミと一緒に生活し始めて興味が出てきた」
「なにそれ」
「たとえばさ、人はどれだけ連続して眠れるものなのか、とか」
 理平くんが壁掛け時計を指差しながら、苦笑しています。
 午後5時45分―――
 窓の外は真っ暗。今日が、日曜日が、終わろうとしています。
「フミ、昨日は何時に寝たの?」
「朝まで原稿書いてたから、7時すぎ……」
「8時に寝たとしても、10時間近いよ」
「ふーんだ。10時間なんて序の口よ。わたし、26時間の記録を持っているんだから」
「あのね、フミ、睡眠なんて6時間で充分なんだよ?」
「よ?って諭されたって、眠いものは眠いの。わたしはそういう体質なの。だって夢をみないと想像力が羽ばたいていかないんだから」
「はいはい、分かりました。とにかく冷蔵庫の中がカラッポだから買い物に行くよ」
「あ、待って待って。着替えるからー」
 はいそうです。わたしたち、文系と理系のカップルです。
 
 
「あ、2割引だってー」
 乳製品がお行儀よくツンとすまして並ぶ陳列棚の前で、わたしは足を止めました。隣で理平くんが呟きます。
「2割だと、51円引きだね」
「51円? ええと、そうすると」
「……256円の51円引きだから205円だよ」
「もう。がんばって計算してたのに」
「ごめん、ごめん」
 わたしは買い物カゴに入れようとしていたチーズを、もとの棚に戻しました。
「あれ? 買わないの?」
「うん。2割引って言われると、とっても割引き感があるんだけどね、51円だとイマイチ」
「割引き感、イマイチって……」
 理平くんは納得のいかない顔をしてますが……。
 毎日のお買い物で、『2割引だと○円引きになって幾らになるから〜』と生真面目に暗算なんて、そんなの耐えられないわたしです。
 感覚。
 それだけがわたしの基準なのです。
 逆に、理平くんの基準は数字。もしくは数値? よく分からないけど、配列数式で出てくるような考え方をしてます。
 次にわたしたちは精肉コーナーにやって来ました。
「ねえ、理平くん」
「なに?」
「若鶏のモモ肉のような淡いピンク色――なんて表現はアリ?」
「は?」
 理平くんが目をまん丸にします。話の展開が分かっていないのです。わたし、しょっちゅう、こうやって話が飛んじゃうんですよねぇ。
「あのね、この間、洋ナシのワイン煮をね、“赤ムケのひよこみたい”って表現したら、大ひんしゅくを買っちゃったの」
「ああ……」
「でも、本当にそう見えたんだから」
「………」
 理平くんは無言で若鶏のモモ肉を見詰めています。休日にしか使わない眼鏡が、陳列棚の照明でキラリと光りました。
「なあ、フミ」
「んー?」
「こっちの方が、グラム単価でいくと安いんじゃないか?」
「あ、ほんとだ」
 わたしは掴んでいた若鶏のパックを元に戻すと、理平くんが指差したパックの方を買い物カゴに入れました。
「それで、なんだっけ、さっきの話は? 若鶏がどうのって」
「もういい」
「いや良くない。……ああ、思い出した。でもさ、その前の、洋ナシってどんな果物だっけ?」
「…ひよこみたいなやつ」
「ふぅん?」
「………」
「で、赤ムケのひよこって、どんな色?」
「分かんない」
「分かんないって……」
「イメージだもん。あくまで、印象の話なの」
「ああ、そう。じゃあ別にいいんじゃない? 赤ムケのひよこが出てこようと、若鶏のモモ肉が出てこようと。フミの感覚がズレてる可能性があるってだけだよ」
「ちょっと〜」
「あくまで可能性の話」
 理平くんはニヤリと笑い、わたしもつられて笑っちゃいました。理平くんは、いつもこうやって普通とはちょっとズレた励まし方をしてくれます。
 わたし、それがとっても好きです。
 
 スーパーのレジで精算をすませると、わたしたちは並んで自動ドアを歩き出ました。
「理平くん、今日のメニューはね」
「あ、俺はきなこ」
「へっ?」
「何でもね、きなこには良質な植物性たんぱく質と繊維が含まれていて、アマチュアボディビルダーの人から聞いた話なんだけど、寝る前にきなこを摂取すると――」
 歩きながら理平くんは、難しい用語を並べていきます。
 それもマシンガン。止まらない止まらない。
「で、これから3ヶ月ぐらい、きなこを続けてみるから」
「………」
「フミ?」
「もうっ」
 そういうことは買い物する前に言ってよねっ。
 その言葉をゴクンと飲み込んで、スーパーの買い物袋を見ると、ちゃっかり“きなこ”が入っていました。
 理平くんは、美味しいものを食べることより、食物が身体にどんな作用を及ぼすのか実験したがるのです。きっとこれから3ヶ月、体重はおろか、体脂肪率や筋肉量までデータをとることでしょう。
 ほんと、困った人です……。

 

 

バカップルです。
可愛らしいストーリーが書きたかったのに、
気付けばバカップルに…。
ああ、うう、スミマセン。
でも、一応、シリーズ化を考えてます。

(2004.12.09)
 

 

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