+-++-++ ケース3.[その溝に金魚は泳ぐ] ++-++-+
 
 
 
 こんにちは。またまたフミです。
 毎日暑い日が続いていますね。8月ですものね。理平くんに言わせたら、それが当然だと返されちゃいます。8月が寒かったら、ここは富士山頂か北極か、地球外だよ、なんてことも言いそうですね。
 前回も前々回も説明しましたが、わたしは東京郊外の1LDKのマンションで暮らしています。二人暮しです。
 わたし以外の居住者は、理平くん。理平くんは、わたしの恋人です。


 カランコロン。下駄の底から差歯が音を立てます。
「フミ、そんなに余所見して歩いていたら――」
 前から歩いてきた恰幅の良いおじさんとぶつかりそうになって、サッと腕を引かれました。理平くんです。
「ほら、ちゃんと前を見て。危ないよ」
「だって」
 わたしと理平くんは、小さな神社の境内で軒をぶつけ合うようにして並んでいる出店の間を歩いています。夏祭りに来ているのです。わたしは浴衣、理平くんは……
「ねえ、やっぱり理平くんも浴衣にしたら良かったのに」
「浴衣は動きにくいから苦手なんだ」
「でも……」
「不満?」
 隙がないほど着こなされたスーツ姿で、理平くんが歩きます。すれ違う人みんな、見ていきます。夏祭りにスーツ。似合わないわけじゃないけど、何だか妙な気分になります。
「これでも一応、敬意を払っているつもりなんだよ。夏祭りに」
「分かるけど」
 スーツ姿の理平くんは嫌いじゃないです、むしろ好きです。惚れ惚れしちゃいます。
 でも夏祭りにスーツ……ですか。
「フミは感覚にこだわるからな」
 理平くんがわたしを眺めて笑います。
「何よー。日本の夏は浴衣から始まって、うちわで流し、下駄で終わりなの」
「少しも意味が分からないよ、フミ」
「えっと、つまりね、浴衣はたとえば春だって寝る時に着られるけど、夏になれば外にも着て出られるでしょ。うちわも、暑くなったら家の中で使い始めて、外にも持ち出すでしょ。下駄は、鼻緒の当たるところに靴擦れができちゃうともう駄目だから、日本らしい夏はそこで終わるの」
「――下駄なのに、"靴擦れ"って変だね」
「きゃっ、スルドイ」
 たとえ夏祭りにスーツでも、下駄に靴擦れだろうと、結局は何でもいいんです。ふたりで祭りの中を歩けることが楽しくって、楽しくって、笑い声がいつもの倍は出てきます。
 わた飴、りんご飴、焼きそば、焼きとうもろこし、カキ氷に、くじ引き、投げ輪、ヨーヨー釣り。
「あっ、金魚すくい!」
 思わず駆け寄って、中を覗き込んでしまいました。長方形の水槽の中で泳ぐ、赤い斑点のような金魚たち。理平くんも、わたしの後ろから覗き込みます。
「どうだい、お姉さん。挑戦してみるかい?」
 おじさんの声に、わたしは笑みを浮かべていました。後ろの理平くんを振り返ります。
「ねえ、覚えてる?」
 あの日の、あの夏祭りでの、金魚すくいのこと。


 17歳の夏は、喧騒とお洒落と、集団の中で過ぎていました。
 わたしは地元の女子校に通っていました。特に立派なわけでもなく、特に悪いわけでもない、どこにでもある普通の高校。
 そのわたしの通う女子校の近くには、わりと有名な男子校があったのです。女子校に通う女の子たちの間で、『オタ校』と呼ばれていました。おたくっぽい男の子の通う高校というレッテルが、何故か貼られていて。
 まぁお互い様と言えばお互い様。
 向こうはわたしたちの女子高を、『カイ校』なんて呼んでいたらしいです。つまり、平均以下、海溝みたいにえぐれてるってことらしいです。知性も見た目も。
 失礼しちゃいますよね。
「フミー」
 ピンクの浴衣に茶色の髪を結い上げた友達が、わたしを呼びます。赤っぽい光に満ちた境内。夏祭りの会場です。
「ねえねえ、浴衣クィーン・コンテストだって! 出ようよ! 何か貰えるかもよ」
「えー、わたしは遠慮する。人前に出るの、苦手だもん」
 紺の生地に赤い金魚の模様という地味な浴衣を着ていたわたしは、友人の誘いに後退りしてしまいました。それでも友人が、ポスターを指で示します。
「でも、ほら、図書券もらえるよ」
「え、ほんと?」
 つい、図書券という言葉に反応してしまった、そのときです。
「頭がからっぽだと無謀なことを言うもんだよなー」
「クィーンって柄でもないだろ」
 ギャハハという笑い声。近くの男子校の男の子たちです。5人くらいのグループで、悪乗りしているのは2人。他の3人は少し戸惑い気味でした。
「なによ、キモオタはさっさと家に帰ってフィギュアでも眺めてなさいよ!」
 友人がムキになって言い返します。それに調子付いて、男の子がゲラゲラ笑います。アルコールでも入っているのか、やたらにテンションが高くて……。
「ちょっと、やめようよ」
「何よ、フミ。悔しくないの?」
「うーん」
 わたしは集団の中のひとりに目を向けて、すぐに視線を外しました。毎朝のバスの中で一緒になる、男子学生がいました。男子校に通う生徒だということは、詰襟の学生服で一目で分かります。
 ――眠そうだね、ここ、座る?
 ある日、つり革に掴まったままウトウトしていたわたしに、投げかけられた声。明け方近くまで本を読んでいたせいで寝不足だったわたしは、バスが動くたびに、ハッと気付くことを繰り返していたのです。
 親切な申し出に、心は揺れました。けれども、わたしは首を横に振って断りました。だってだってだって、人前でぐぅぐぅ眠ってしまうと恥ずかしいもの!
 女心の分からない男子学生はキョトンとして、それでも、声をかけてくれたらすぐに譲るからと言ってくれました。
 そのとき、ちょっぴり、胸がホクホクしたのです。
 そのホクホクを、台無しにしてしまうのはイヤでした。


 結局、友人は『浴衣クィーン・コンテスト』に出ることになり、わたしは独りで境内の中をブラブラしていました。
 家族連れ、恋人同士、何かの仲間らしき集団。
 普段はまるで気付かないけれど、周囲を歩く人のほとんどは、わたしより人生を多く歩んできた人ばかりです。わたしみたいなヒヨっ子は、案外少なくて。わたしは狭い世界しか知らず、その中でしか生きていない、それ以外のもっと多くの世界をまるで知らないのです。
 何だかふと、物淋しい気分になって。
 目に付いた金魚すくいの出店の前に座りました。
「お姉ちゃん、どうだい、やってみるかい?」
 おじさんにポイと呼ばれるすくい網を出されて、よーしという気分になりました。浴衣の袖をまくりあげて、水槽の中を泳ぐ金魚たちを眺めました。
 どの金魚もすいすいと、水槽の中を自由に泳ぎまわっています。
 わたしは1匹の金魚に狙いを定めて、ポイを水の中に入れました。円形の和紙に金魚の尾ひれが触れ、行けると思った瞬間に、ザッとすくいあげ――
 ポチャン。
 金魚は見事、水槽の中に帰還しました。
「あーん、失敗」
 無残に剥がれ落ちた和紙が、ポイの中心から垂れ下がっています。ほとんどが破けてしまって、向こうが丸見え。もう一度挑戦するには、新しくポイを買いなおす必要がありました。
 わたしはポイを捨てるためのバケツに破れたポイを捨てると、水槽を眺め、とても捕まえられそうにないと思って、スゴスゴと退散するために立ち上がろうとしていました。
 その時です。
「おじさん、もう1回」
 わたしのすぐ隣に、座る人が。
 夏祭りだというのに、毎朝のバスで会う時と同じ、詰襟の学生服。あの男子学生でした。
 驚いているわたしの隣で、男子学生が解説を始めました。
「ポイを水に入れる時は斜め30度で、こう、この角度。水面ではなるべく動かさない方がいいんだけど、動かす場合には平行移動すること。水の抵抗をなるべく少なくするためだよ。紙が張ってある方を上に持つこともポイント。逆に持つとポイの枠と紙の間に水がたまって、紙がはがれやすくなってしまうからね。そしてポイの枠に金魚を引っかけるようにしてサッとすくい、おわんに手早く入れ――」
 ポチャン。
 あともう少しでおわんというところで、金魚が和紙を破って水槽に帰還してしまいました。
「………」
「………」
 何となく無言になってしまったわたしとその男子学生。
「あ、あの」
「おじさん、もう1回」
 それから何度、もう1回、という言葉を聞いたか知れません。ようやく、追い回されてへとへとになった金魚を捕まえることができて、男子学生はニッコリ笑いました。
「さっきはごめん。連れが失礼なことを言って。これ、おわびに」
 えっえっえ!? わたしのために?
 金魚を受け取ってジィンとしていたら、突然、男子学生の思いがけない言葉にぶつかりました。
「金魚って3秒しか記憶力がないんだ」
 唐突な言葉に、ポカンとしてしまいました。
「何よ、それー。お馬鹿さんにはお似合いってこと?」
 ムードの欠片もない言葉。わたしがぷぅぅっと頬を膨らませると、男子学生は少し驚いた風に、慌てて早口になって言ったのです。
「違う違う。3秒しか記憶力がないと、群れから離れたことも、なぜ離れてしまったのかも、覚えていられないんだ。こいつはもう群れで泳いでいたことも覚えてない。……それってどうなのかな?」
 ふと男子学生が見せた寂しそうな瞳に、わたしはさっき自分の感じた物淋しさを思い出しました。狭い世界しか知らないわたし。金魚と同じなのかも。
 それが、理平くんとの出会いでした。
 わたしたちが付き合いを始めるのは、もうちょっと後のことですけど。


「ねえ」
 隣を歩く理平くんの腕に、わたしは自分の腕を巻きつけました。あの時は学生服、今日はスーツ姿。感覚にとらわれないマイペースなところは、昔と同じ。
「ねえ、理平くん。金魚の話、覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「わたし、あの話に……」
 うふふ。甘酸っぱい気持ちでいっぱいのわたし。でもその気持ちは3秒も続きませんでした。
 理平くんが言います。
「あのとき、金魚に3秒しか記憶力がないなら、仮に1分間に20回ほどポイで追いかけ回したら、それは連続した記憶となるものかなって思ったけど。金魚の記憶なんて確かめようがなくて、虚しかったんだよね。と言うよりも、考えてみれば金魚だって本能的に危険に対して」
「ちょっと待って」
 わたしはムムッと眉の間に力を入れました。
「じゃあ、理平くん、あの時の――」
 寂しそうな瞳は?
 まさか実験結果が得られなくて虚しかったから!?
「もちろん、最初はフミにお詫びとして、とってあげようと思ったんだよ。でもさ、失敗して何となくムキになって続けていたら、今度はそんなことが頭に浮かんできて」
「もうっ! 理平くんったら!」


 
next case   

 

バカップル第3弾です。
学生時代も相変わらずのふたりです。
橋渡しをしなければならないはずの溝に泳ぐのは、
3秒の記憶しか持たない金魚。
だから溝がなかなか埋まらない。
それでも、やっぱり、ふたりがいい……よね?

(2005.08.14)

 

マボロシ文庫の楠瀬ハフリさんから、この作品に関連して素敵なものをいただきました。小話付き。

 

インデックス           小説置き場           文理な日々の目次