ある国の山の奥の方、貧しい小さな農村に、マチヲという無口でとても心の優しい少年が住んでいました。 マチヲには二つ年上の兄さんがあって、マチヲの兄さんもとても優しい人でしたが、あと一週間もしたら出征してしまうのでした。 マチヲの住んでいる国は、隣の国ともうずっと長い間、戦争をしていました。 マチヲは兄さんが好きでしたので、戦争へは行ってほしくありませんでした。 けれど、村の他の人たち――兄さんと同じ年頃の人たち――も行くので、それを言うことができませんでした。 マチヲの兄さんはそんなマチヲの心に気付いて、心配するな、大丈夫だよ、すぐに帰ってくるからね、と言いました。 それでもマチヲの心は晴れませんでした。 そんなある日の朝のこと。 もう胸が苦しくて苦しくて、マチヲはまだ夜の明けきらないうちに起きだして、台所で立ち働く母さんのもとへ行きました。 こんなに朝早くに起きだしたマチヲを見て、マチヲの母さんは珍しいこともあるものだと思いました。マチヲはとても寝ぼすけで、朝は誰かに起こしてもらわないと起きられない子供でした。 どうしたんだいとマチヲの母さんが聞こうとし、マチヲが胸の苦しいことを訴えようとした時のことです。 シュルシュルシュルルル…… なんと、驚いたことにマチヲの口から言い表せないほどの美しい糸が出てきたのです。それはまるで素晴らしい絹糸を吐き出す蚕のようでした。 マチヲの母さんは驚いてマチヲの肩を揺さぶりました。けれどマチヲの口からは糸ばかり出て、一言も声が出てきません。そしてそれがひどく苦しいのか、マチヲの大きな瞳からは涙がぽとりぽとりと落ちています。 マチヲの母さんは急いでマチヲの兄さんを起こし、それから村の人たちに助けを求めました。 村で唯一の学校の先生が、何とかマチヲの口を閉じさせようとしましたけれど駄目でした。村で唯一のお医者さんも、どうやってもマチヲの口から吐き出される糸を止めることはできませんでした。 マチヲの母さんとマチヲの兄さんは途方に暮れて、シュルシュルと糸を吐き続けるマチヲを見守るしかありませんでした。 そしてその日の夕暮れの頃、マチヲは自分の母さんと兄さんの手をギュッと握り、糸を吐き出すことに疲れたのか、ゆっくりと目を閉じました。 その瞬間、ふっと糸が途切れたのです。 マチヲの母さんと兄さんは糸の途切れたことを喜び、マチヲを揺すって起こそうとしましたけれど、マチヲはもう動きませんでした。 糸を吐き続けて、疲れて死んでしまったのです。 マチヲの母さんはその日からほとんど寝る間もなく糸をつむぎ、出征するマチヲの兄さんのために一枚のシャツをこしらえてあげました。 マチヲの吐き出した糸で作ったシャツです。 きっとこれがおまえを守ってくれるよ、きっときっと、マチヲがおまえを守ってくれるからね。 マチヲの母さんの言葉を胸に刻み、マチヲの兄さんが出征したのは、それから二日後のことでした。 戦地に送られたマチヲの兄さんは、泥だらけになって木々の間を這っていました。そこはとても激しい戦闘のくり広げられているところでした。 仲間の兵士がどんどんと敵にやられていく中で、不思議なことに、マチヲの兄さんだけが無傷でした。 けれど、マチヲの兄さんはとても心の優しい人でしたので、仲間が倒れていくことをとても悲しく思っていました。 そしてついに、マチヲの兄さんはひとりきりになってしまいました。敵に追われ、逃げている最中に、マチヲの兄さんがふと周りを見回したとき、そこがふるさとの山に似ていることに気付きました。 マチヲの兄さんは懐かしさに涙を流しながら、そこで自決しました。みずから命を絶ったのです。それが当たり前のことだと教えられていたせいです。 それから長い年月が経ちました。 小さな貧しい農村に、ルージンという素直でとても思いやりのある少年がいました。ルージンには二つ年下の弟があって、あともう三日もしたら出稼ぎに行くことになっていました。 ルージンの家はとても貧しく、食べていくのもやっとでした。 ルージンの父さんは長く続いた戦争で負傷し、身体が不自由でした。ルージンは動けない父さんの面倒を見るために家に残り、弟が町へ出稼ぎに行くことになったのです。 けれどルージンの家はとても貧しい家でしたので、弟が町へ行くというのに靴さえも用意してあげられませんでした。ルージンは弟のために何とかできないかと、木靴でも作ってやれたらと、山の中を歩きまわりました。 そして、ほとんど枯葉や泥で覆われた地表から、何か白いものが出ているのを見つけたのです。それは布のようでした。 せめてこの布で足を覆ったらどうだろう。 木靴を作るには時間がありませんでした。ルージンはその布に手を伸ばしました。そのとき、布に覆われた白い骨が見えたのです。 それはずっとずっと昔のことでしたが、ここはかつて、とても激しい戦闘の行われた地域だったのです。 骨が見えて、ルージンは恐ろしく思いました。けれど弟のために、ルージンは目をつぶってその布をビリリと裂いて持って帰ったのでした。 ルージンの弟は、その贈り物をとても喜びました。ルージンの自分を思ってくれる心が嬉しかったのです。そして美しい白い布を足に巻いて、ルージンの弟が村を出たのは、それからすぐのことでした。 町に着くまでの間、ルージンの弟は険しい谷や山をいくつも越えなければなりませんでした。けれど不思議なことに、その布はどんなにとがった硬い石を踏んでも、決して破れませんでした。 ルージンの弟の働く町では、その不思議な白い布のうわさがあっという間に広まりました。 そしてある日のこと。そのうわさを聞きつけた国の偉い人が、ルージンの弟を自分の屋敷に呼びつけたのです。 ルージンの弟は、この白い布は兄さんから贈られたものだと正直に言いました。 それから二日も経たない内に、ルージンの家に立派な服を着た人が訪ねてきました。布をどこで手に入れたのか聞かれたルージンは、その人を山へ案内しました。 そこには骨が、あの時と同じように、枯葉の上に少し出ていました。ルージンの話を聞いたその人は、地面を掘りおこして、その骨をそっくりすべて掘り出してしまいました。 白い骨は首に識別用のペンダントをしていて、それが長く戦争を続けてきた隣の国の人だと分かりました。 国の偉い人は、その識別用のペンダントを持って隣の国に渡りました。 識別用のペンダントのおかげで、それがマチヲの兄さんだということはすぐに分かりました。その偉い人が、マチヲとマチヲの兄さんの住んでいた山奥の村を訪ねていくと、昔のことを覚えている人が何人か残っていました。 マチヲの口から吐き出された糸の話は、とても信じられるようなものではありませんでした。 けれど、ずっと前に終わった戦争から今日まで、色あせもしないで山に埋まっていた白い布は、それを信じさせるほど美しく輝いていたのです。 その後、ふたつの国の偉い人たちが集まって、その布を半分ずつにして持つことにしました。どちらの国でも今も大切に飾られています。 その布は『言葉の糸』と名付けられました。 無口なマチヲの「行かないで」という切なる想いが、糸として吐き出されたのだと言い伝えられています。 そしてこれからはもう決して不幸な戦争を繰り返さないと、どちらの国もそのことを胸に刻んだのでした。
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| 言えない言葉、それは平和への願い。 昔はそうだった。 それは言えない言葉だった。 今は……? (2005.11.19) |
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