+-++-++ 不思議なエレベーター ++-++-+
(リクエスト作品)
 
 
 
「ワレはエレベーターの神であーるー。ナンジにコレをしんぜよーう」
 
 突然そんなことを言われて、ポカンとしてしまった。
 ポカンとしている間に桜貝色のハンカチを差し出されて、思わず受け取ってしまった。手触りから、シルクだと分かった。
 
「さらばー」
 ニャハハハという甲高い笑い声を発して、その小さな人影は走り去った。小学校の高学年か中学1年生くらいの、男の子だった…と思う。
 あまりに面食らっていたので、よく観察できなかった。その年頃の男の子がシルクのハンカチなんて持っているとは思えないけれど。どこかで拾ったのだろうか。
 
 東地区にある、とあるマンションでのことだった。私はそのマンションにある人を訪ねてきて、1階でエレベーターが下りてくるのを待っていた。
 
 変な子…。
 
 多少の薄気味悪さはあったものの、気を取り直してエレベーターに乗り込むと、アッと思った。
 縦に並ぶすべてのボタンが光っている。
 
「いやだ。あの子が悪戯していったのね」
 
 私がこれから訪ねようとしている部屋は最上階にある。このマンションには、このエレベーターの隣にもう1台エレベーターがあったのだけれども、今は点検中というプラスチックのプレートが下がっていた。
 これから、最上階まで各階に止まるのかと思うと、ため息が出そうだった。
 
 あまり、楽しい用件で訪ねるわけではないから、余計に……。
 
 ともかくドアを閉めようと『閉』のボタンを押そうとしたとき、足早にこちらへと近付いてくるOL風の少し派手な女性が見えた。
 私は慌てて『開』のボタンを押した。
 
「すみません…」
 首を縮めるようにして女性が乗り込み、私はようやく『閉』のボタンを押した。その直後だった。
 
 ヒッという喉から押し出された空気の音を聞いた。
 驚いて振り返ると、颯爽とエレベーターに乗り込んできたはずの女性が、プルンプルンと、ゆるいゼリィのように揺れ始めた。
 
「―――!?」
 
 驚いて目を見開く私を、彼女も目をまん丸にして見詰め返してきた。驚きの後には何とも言えぬ高揚感が湧き上がった。まるで有名なリゾート地にいるような心地。トロピカルなスチールドラムの音が、今にも聞こえてきそうだった。
 
 私たちはエレベーターの四角い水槽の中で泳ぐ、カラフルな熱帯魚になっていた。
 
 だけどそれも一瞬のことだった。グイと頭を押さえられたと思った瞬間に、そんな夢想が溶けて消える。
 エレベーターが2階へと到着して、アコーディオンのような扉が開いた。
 
 OL風の女性が首を傾げながらエレベーターから歩き出た。どうやら、彼女は2階で降りるらしい。
 
 不思議な浮遊感だった。エレベーターに乗ったとき、確かに、重力の関係なのかフワリという感覚を味わうことはあるけれど…。
 さっきのは、それとはまた違う感じだった。
 
 再びエレベーターの扉が閉まる。少し胸がドキドキした。またあの浮遊感が味わえるかもしれないと、口角に少し力を入れた。
 
 けれども。
 今度は普通に上昇していく。
 
 やっぱり、さっきの感覚は気のせいだったようだ。考えてみれば当たり前のことだった。エレベーターの中が水槽になるなんて、現実にはあり得ない。おかしな話。
 少しでも期待した自分をバカみたいと笑う反面で、何故か心の奥底でとても残念がっている自分がいた。
 
 次の階もその次の階も、無人の通路を私に見せ付けるだけで、エレベーターは何の“異常”もなく上昇していく。
 マンションで途中の階から乗り込むのは、降りる場合がほとんどだ。
 
 ところが。
 
 次の階で、扉が開いた瞬間、まだ完全には開いていないというのに飛び込んできた人がいた。
 勢い余ってか、エレベーターのドアで顔をぶつけて、「アタタタ…」と鼻を押さえる始末。作業服姿の男性だった。
 
「大丈夫ですか?」
 私の声に、その人は初めてエレベーターの中に人がいることに気付いたようで、慌てて手をばたつかせて言った。
「大丈夫です」
 そのわりには、鼻から赤いものがタラリとたれて落ちた。
 これを…と、咄嗟に1階で押し付けられてからずっと持っていたハンカチを差し出そうとした瞬間、再びあの浮遊感が。
 
 高揚感が湧き上がってくる。ジッとしていられないほどワクワクしているのに、足の裏がエレベーターの床に吸いつけられたように動かない。まるで風に揺れる小さな花。
 
 私たちは、夕陽の中を進む気球に揺られていた。
 
 だけどそれもやはり一瞬のことだった。グンと両足を引っ張られたように感じた瞬間に、非現実的な光景が溶けていく。
 エレベーターの扉が開くと、何の変哲もない通路が現れた。
 
 鼻を押さえた作業服姿の男性が、「ウーン」と唸りながらエレベーターの扉まで足を進めて、一歩踏み出したと思ったら身体を反転させた。
「あ。これ、昇りだったのか。どうりで変だと思った…」
 照れ隠しなのか、困惑のせいなのか、エレベーターの中に独り言を落として、その男性は歩き出た。
 残された私は、不思議な浮遊感にワクワクしていた。
 
 なんて不思議なエレベーター!
 
 どういうわけか分からないけれども、このエレベーターは浮遊感の中で夢を見させてくれる。白昼夢のようなものかもしれない。
 だけど、ひとりだと駄目なようだ。あの作業服姿の男性が降り、今はエレベーターの中に私ひとりだった。やはり浮遊感はやって来ない。
 
 それほど広くもないエレベーターの内部が、ひとりだと無性に寒々しく感じた。
 
 エレベーターの上部を見上げる。最上階までは残り3階。やけにソワソワ落ち着かなく、ワクワク待ち遠しく、1階でこのエレベーターに乗り込んだ時の憂鬱な気分なんて吹き飛んでいた。
 
 そして、とうとうエレベーターは最上階まで昇りつめた。
 
 目的の部屋まで、私はどことなくスキップするような軽い足取りで向かった。チャイムを鳴らし、胸をこころもち反らした。
 
「どうしたんだい、突然…?」
「私、あなたと結婚するわ!」
 
 面食らっている彼に、力強くそう告げた。本当は、あのエレベーターに乗り込む前まではプロポーズを断ろうと思っていた。
 まだ早いような気がした。
 まだ結婚して自分の世界を縮めたくなかった。もっと色々なことを経験して、色々なものを見て、貪欲に生きていたかった。まだまだまだ、もっともっともっと。
 
 だけど…。
 あのエレベーターが見せてくれた。
 小さな閉鎖された空間で、あんな素敵な白昼夢を。
 
「結婚してもしばらくは仕事を続けるわ。大人しく家庭におさまると思ったら大間違いよ。ただ、2人なら、今よりもっと楽しく出来るような気がするの。……それでもいいかしら?」
 私の言葉に、彼は顔をクシャッとさせて笑った。
「ありがとうありがとう!」
 泣き出してしまった彼に、私はエレベーターの前で男の子から貰ったハンカチを差し出した。
 あの子は本当にエレベーターの神だったのかもしれない―――なんてね。
 
 
end  

 

筒井ツグさんのリクエストで「エレベーター」です。
ツグさん、666、おめでとうございました!
 
エレベーターって、上昇する時と下降する時では
体重が増減するんだそうです。
もちろん、それは一瞬だけのこと。
でも面白い。心もそんなもの…かも(笑)

(2005.01.12)
 

 

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