+-++-++ ケーキ屋さん 3 ++-++-+

このお話は『ケーキ屋さん』の続編です。
   
 
 

 それは木枯らしの舞う火曜日のことだった。
 ポワンの窓の外を、赤ワインやリキュールで色づけされたような赤や黄や茶の葉っぱが舞い飛んでいく。風は冷たい指先で枯葉をつまみ上げ、地面に落しては、またつまみ上げてを繰り返していた。
 店内には空調がきいて暖かな空気が満ちていたけれど、柚子は枯葉の舞う様子を見て思わず首を縮めた。
 急速に秋を迎えた小さな町は、まるで冬篭り前の森のようにひっそりと静まり返っていた。

 と、そのとき。
 いきなりガァガァ、カァカァと、けたたましい鳴き声がした。黒い羽が、窓の向こうを二、三枚ゆっくりと落ちていく。
 ああ、またカラスかと柚子が思っていると、ポワンのドアが開いて長い髪の女の人が入ってきた。

「いらっしゃいませ!」
 柚子の声に、その髪の長い女の人はビクッと肩を振るわせた。真っ黒い髪は腰のあたりまで伸びて、その髪にも劣らない美しい光沢のあるベロアの黒いワンピースを着ていた。
 どこかぎこちない笑みを浮かべて、その全身黒ずくめの女の人はショーウィンドウまで歩いてきた。ハッとするほどの美人だった。
「ごめんなさい、ちょっと声にびっくりしちゃって」
「いいえ、こちらこそ大きな声を出してすみません。ちょうどさっきからお客様が途切れて、寂しかったものですから」
 柚子が笑みを浮かべると、その女の人は少しホッとしたような顔をみせた。もしかしたらケーキ屋さんに来るのに緊張するタイプなのかもしれないと柚子は思った。たまにいるのだ。面と向ってカタカナのケーキの名前を言うのが恥ずかしいというか苦手というか、そういうタイプの奥ゆかしい人が。

「この、モ、モ……」
 女の人は少し茶色がかったケーキを指し示した。
「モンブランですか?」
 柚子が言うと、女性はそれそれという風に頷いた。表情から安堵したものがうかがえる。
「いくつ、お包みしましょうか」
「え、と」
 柚子が数を尋ねると、黒ずくめの女の人はポケットに手を入れて、中身をショーウィンドウの上にぶちまけた。チャリンチャリンと、大量の小銭、それも百円玉や五十円玉、十円玉などが出てきた。
「これでいくつ買えるかしら」
 女の人の出した小銭を必死で数えて、柚子が「6個分ありますね」と言うと、女の人は少し考えて「じゃあ6個」と言った。
 柚子は手早く小銭をレジの中に入れた。
「おつりが120円になります」
 と、小銭を渡そうとすると、女の人は首を振って受け取らなかった。
「それはあなたにあげる」
「いえ、それは困ります」
 柚子が小銭を渡そうとしても、女の人は頑として受け取らなかった。その上、急にこんなことを言い出したのだ。

「ここから西に二百メートル行ったところに、立派な柿の木の生えているお宅があるの。そこにこのケーキを配達してください」
「あの、そのお宅のお名前は」
「ここから西に二百メートル行けば分かるわ。立派な柿の木のある家よ。他には柿の木がないから分かるはずよ」
 女の人はそう言い張ったが、柚子はこの町に戻ってきてまだ日が浅い。西に二百メートルと言われても、柚子の頭の中に地図がないものだから困惑してしまった。

 そこに、話を聞きつけたのか、奥にいた蓮太郎が顔を出してきた。
「こんにちは。ここから西に二百メートルと言うと、ミナガワさんのお宅かな」
 蓮太郎は人好きのする笑顔を浮かべ、女の人に聞いた。
「みながわ。どんな字か、書いて見せて」
 女の人に言われ、蓮太郎はレジの横にあったボールペンで皆川と書いた。それを見て、黒ずくめの女の人はホッと顔をほころばせた。
「そう、その字よ。じゃあ、お願いね」
 それだけ言うと女の人が出ていきそうになったので、柚子は急いで声をかけた。
「あの、あなたのお名前は?」
「ハシブト」
 振り返ってそう言うと、女の人は黒い髪をたなびかせてポワンを出ていった。そして、ちょうど女の人とすれ違うように、ポワンに入ってくる人があった。

「あれはハエ女だろう」
 顔を合わせた途端、そんなことを言われ、柚子も蓮太郎もあっけに取られてしまった。しかし相手はまるで意に介していないようで、2人の前で自信満々に言った。
「ショーウィンドウに両手をつけて、商品を眺めるだけ眺めて、焼き菓子を買って帰っただろう」
「……いいえ。モンブランをお買い上げに」
 蓮太郎が小首をかしげながら言うと、その相手は明らかにムッとしたような顔をして両腕を身体の前で組み合わせた。
「変だな」
「ところで先輩は、どうしてうちに」
 蓮太郎がそう尋ねると、その相手、ポワンのライバル店コロネの雇われ店長、二階堂はより一層ムッとした顔をみせた。
「商店街の臨時集会におまえが来ないから、わざわざ呼びに来てやったんだぞ」
「あ、そうでした。今日でしたね。すっかり忘れていました」
 蓮太郎は慌てた様子でショーウィンドウの向こうに出ていった。
「まったく、臨時だなんて急に呼び出しやがって、大曽根のじいさんめ。しょうもない用件だったら頭かち割って魂を引っこ抜いてやる」
 二階堂がブツブツ言うのを、蓮太郎が「まぁまぁ」となだめている。そのまま店を出ていきそうになったので、柚子はたまらず声をかけた。

「れんくん、配達はどうするの」
 さっきのモンブランの件だ。
 柚子の声に振り返った蓮太郎は、「悪いけど、柚子ちゃん、行ってもらえないかな」と言った。
「でもお店は……」
「大丈夫、その間、しばらく留守にしますって札を下げていればいいよ」
「うちだって今はその状態だぞ」
 柚子と蓮太郎の話に、二階堂が割り込んできた。蓮太郎は隣の二階堂を、少し心配そうに見詰めた。
「先輩のところ、またアルバイトが辞めてしまったんですか」
「うるさいな。さっさと行くぞ、大曽根のじじいの頭をかち割りに」
 蓮太郎と二階堂は何のかんの言いながら店を出ていった。残された柚子は仕方なくモンブランを箱に包み、町内の地図を引っ張り出して皆川という家を調べた。

*

 柚子が皆川家を訪れたとき、風はいっそうその冷たさを増していた。まるで湯煎で溶かされたチョコレートが今度は冷蔵庫に入れられて固まったように、柚子の足元に落ちている影さえも、冷たい。
 突然の柚子の訪問に、皆川家の玄関で出迎えた中年の女性は面食らっていた。
「はしぶと? そんな人知らないけど」
「いえ、でも、確かに皆川さんの家に届けてほしいと、ハシブトさんから」
 柚子は玄関から左手に見える柿の木を見上げた。確かに立派な柿の木だった。今はまだ青いけれど、たくさんの実をつけている。
 そのとき、庭の方から声がした。
「お嬢さん。ちょっとこっちにいらっしゃいよ」
 柚子が玄関に立つ中年女性と顔を見合わせると、中年女性が小さく頷いた。庭に行け、ということだった。

 小さな木戸をくぐって庭にまわった柚子は、そこでバイオリンを手にしている初老の男性に出迎えられた。優しそうな笑顔を白い毛髪が包み、まるでメレンゲのように柔らかな印象のある人だった。
 柚子がモンブランの入った箱をその男性に差し出すと、男性は頷いて受け取った。それを縁側に置くと、男性はバイオリンを奏で始めた。なんという曲なのか、柚子には分からなかったけれど、心のゆったりするような音色だった。
 しばらくバイオリンの音を聞いていると、柿の木の上に1羽のカラスが止まった。いつの間にやって来たのか、縁側から「またあのカラス。今年もうちの柿を狙っているんだわ」と、中年女性が言った。
 けれど、初老の男性はバイオリンの手を止めないで独り言のように言った。
「ハシブトさんか。あんまり気を使わんでいいよ。あんたにも生きる権利があるんだ。うちの柿でよければ、いくらでも食べるといいよ」
 まるで、その声に応えるように、柿の木の上のカラスが遠慮がちに「カァ」と鳴いた。

*

「――ということがあったの。ねえ、れんくん、どう思う?」
 柚子の話を黙って聞いていた蓮太郎は、急に思い立ったように席を立ってどこかに電話をし始めた。
 どこに電話をしているんだろうと、柚子が悪いと思いながら耳をダンボにして蓮太郎の電話を聞いていると、こんな声が聞こえてきた。
「ええ、そうです。きっともう、そういうことはないと思いますよ。え、どうして分かるのかって。それはええと……カラスの友人から聞いたんです。嘘ですよ、冗談ですよ。とにかくもう少し様子をみましょう」
 すぐに、今日の臨時集会のことだと柚子はピンときた。
 電話を終えて戻ってきた蓮太郎にそのことを聞くと、蓮太郎は大きく頷いた。
「カラスがね、自動販売機でジュースを買おうとする人を狙って襲ってくるって、商店街に苦情が入ったそうなんだ」
「じゃあ、やっぱり」
 あの黒ずくめの女の人は……。
 蓮太郎と柚子は顔を見合わせて、少し困ったように微笑んだ。



 

 

ケーキ屋さんの3作目です。
ハシブトさんは、あのおじいさんに
ほんのり恋心でも抱いていたのかしら。
と柚子が言い、蓮太郎が、
それは町内の噂としても素敵な話になるね。
と笑ったのでした。

(2006.09.18)
 

 

 

 

インデックス           小説置き場