+-++-++ ケーキ屋さん α ++-++-+
 
このお話は『ケーキ屋さん』の番外編です。
より楽しむためには『ケーキ屋さん』『ケーキ屋さん2』を先にお読みになることをお勧めします。
   
 
 

 敵の主力はシュークリーム。丸く小さな一口サイズのシュー。その上に溶かしたチョコレートをかけて、その上にまた色の付いたチョコレートを使って顔を描いている。
 シューにはそれぞれ、クマの顔、犬の顔、アヒルの顔がある。恐らく中身は、クマがチョコレートで、犬がカスタードで、アヒルはチョコバナナだろう。
 二階堂昌紀(にかいどう まさき)はそう分析して、双眼鏡から目を離した。
「それにしても……」
 相変わらず、花が多い。まるで花屋だ。店の前には大きなプランターから小さな鉢植えまで並び、店の中までドライフラワーが所狭しに置かれている。どこかおとぎの国の少女の部屋のようだ。それはそれで、動物の顔のシューと合っていると言えなくもない。言えなくもないが。
 二階堂はポワンを眺めて顔をしかめると、再び双眼鏡を顔の前に持ってこようとした。
 そのとき。

「先輩……」
 後ろから小さな声がした。二階堂が振り返ると、ヒョロリとした男がコック服を着て立っていた。
「なんだ、蓮太郎か。驚かすなよ。お前のところの主力はシューか。夏休みで家にいる子どもを黙らせるために、とりあえず菓子を買い与える主婦が増えることを見越しての選択か。なかなかいいぞ」
「はぁ……」
「それにしても、シューはシューでも、もっと洒落たものを作れないのか。シーニュの作り方くらい知っているだろ」
「はぁ……」
「通称、スワンシューだ。まず細いS字型のものと水滴のような形のシュー生地を焼いて、水滴形のシューは上下半分に切って、クリームを絞り、上のシュー生地は半分に切って羽の形を作ってだな」
 二階堂はシーニュの作り方を得々と語ったが、蓮太郎はそれについて何も反応を示さなかった。それよりも、しゃがみ込んで双眼鏡を持っている二階堂を、訝しげな顔で見下ろしてきた。

「あの、先輩は、ここで何をしているんですか?」
 聞かれた二階堂は、フンと鼻を鳴らして立ち上がった。ヒョロリとした蓮太郎の首のあたりに、二階堂の頭がくる。二階堂もそれなりに背が高いのだが、蓮太郎はそれ以上だった。  見上げることの苛立ちを隠して、二階堂は双眼鏡と蓮太郎の顔に交互に視線を走らせた。
「見て分からないのか。偵察に決まっているじゃないか」
「はぁ……」
 ふたりが立っているのは、蓮太郎の家の玄関の門の脇だった。つまり、蓮太郎の家の敷地の中だ。
 二階堂は落ち着いた様子でポワンを眺めながら言った。
「うちの主力はクリームブリュレと焼き菓子だ。この時期は安価な菓子がよく出るな。瓶詰めのジュレもよく出る。恐らくお中元代りの土産にするのだろうが」

 喋りながら二階堂は、ポワンの店の中から興味深げな顔でこっちを見ている存在に気付いた。先月、二階堂の店からポワンに移った元従業員。そちらに視線を移すことなく、二階堂は蓮太郎のコック服を眺め回した。
 何度見ても、白アスパラがオレンジのネックチーフを巻いているようにしか見えない。ノッポの白アスパラ。
 その白アスパラが、居心地悪そうに身体を左右に揺らしながら言う。

「先輩の作るクリームブリュレは、相変わらず人気ですね」
「相変わらずとはなんだ」
 蓮太郎の言葉に、二階堂はフンと鼻から息を吐き出した。
「相変わらずというのは、以前と同様、いつもと特に変化なく、という意味で使う言葉だ。うちのクリームブリュレは以前より売れているぞ」
「はぁ、すみません。あのクリームブリュレはスプーンですくった時の焼き目も程よい硬さで、甘さも繊細で素晴らしい味です」
 いつの間にうちのクリームブリュレを食べたのだと、蓮太郎の言葉に少し疑問を抱きつつも、二階堂はフハハと声を出して笑った。
「当然だ。俺は天才だからな」
 二階堂はフハハハと高らかな笑い声を上げながら、蓮太郎の家から歩き出した。後ろに訝しげな顔をした蓮太郎を残して。

*

 三角帽子をかぶった妖精の絵が、ガラス窓に白い影絵のように浮かんでいる。『コロネ』はこの町の人間なら知らない者はないほどの知名度があった。
 ピカピカに磨かれたショーウィンドウ、レジスターから花瓶に至るまでヨーロッパから取り寄せられた調度品の数々、そしてまるで宝石のような気品を持つケーキたち。
 二階堂は『コロネ』の専属パティシエだった。店長も兼ねている。ただし蓮太郎と違って、二階堂は雇われの身だった。
 オーナーはこの町にいくつもの不動産を持つ資産家らしいのだが、実は二階堂はまだ一度も会ったことはなかった。この店で働くための面接の時も、その人物の秘書という人間が出てきて、そして一任された。
 以来、二階堂は謎のオーナーから任された『コロネ』で店長兼パティシエをやっている。もうすぐ2年になろうとしていた。

「店長、休憩いってきまーす!」
 最近アルバイトで入った女の子が、元気よく声をあげて店を出ようとする。二階堂は素早く奥の調理場から店の方へ行き、ドアに手をかけた女の子に「待て」と声をかけることができた。
「昨日も言ったが、休憩時間は1時間だ。今度遅れたら許さないからな」
「はぁーい」
 これまた頭の芯に響くほどの大きな声を出して、女の子はドアを出ていった。出て行く時に舌をチロリと出していることに二階堂は気付いたが、そのまま行かせた。
 なにせアルバイトが次々と辞めていくのだ。
 二階堂はため息をつきながら、ケーキの並んだショーウィンドウの奥に入った。アルバイトの女の子が休憩でいない間、他に人がいないせいで、二階堂が店に立つことになるのだ。
 接客がいやなわけではない。
 しかし二階堂は再びため息をついた。

 ふと、『ポワン』の中から覗いていた顔を思い出す。突然『コロネ』を辞めて、『ポワン』に移った元従業員――逢沢柚子(あいざわ ゆずこ)。
 レジの金額が合わなかったことを除けば、彼女はまだマシだった。特別美人というわけでもなかったが、忙しくても客にイライラしたところを見せなかったし、接客態度は親切で明るい。常連客の評判も良かった。だからこそ、突然辞めて、よりにもよって『ポワン』に勤めていることを知った客たちからの声は散々なものだった。

『あらー、かわいそうに。あなた、ふられたのねぇ』
『私があと十年若かったら、ここで働いてあげるのに。冗談よ、オホホホ』

 二階堂は最初こそ笑顔で対応していたが、毎日のように客たちから似たような言葉をぶつけられ、仕舞いにはムスッとすることでしか客の言葉を封じる方法がなくなった。
 第一、ふったふられたの関係ではなかった。
 何度そのことを説明しても、常連客たちはまるで面白がるように「案外奥手でらっしゃるのねぇ」なんて言い出す。
 イライラしてきた気分を何とか落ち着けようと、二階堂は自分の作ったケーキを眺めた。チョコレートの光沢が神々しいほどのザッハトルテ、繊細かつ大胆な階段を持つミルフィーユ、貴婦人の小さな帽子のようなフロマージュ、パイ生地ととろけるクレーム・パティシエールのシブースト。
 どこに出しても恥ずかしくない、自分の持てる技術をすべて注ぎ込んだ作品たちだ。

 二階堂がにんまり笑みを浮かべてケーキを眺めていると、ドアが開いて誰か入ってきた。条件反射で「いらっしゃいませ」と愛想よく言った二階堂は、その人物を見て気付かれないように舌打ちをした。
 もう1ヶ月近く、毎日やって来る客だ。それも、アルバイトの女の子が休憩に行っているタイミングで。

 その人物は年寄りの犬のようにのっそりと歩いてきて、ペタリとショーウィンドウの前に座り込んだ。そしてベタッと両手をショーウィンドウに付けて、食い入るようにケーキを眺めている。
 やけに湿っぽい雰囲気のある、30代後半と思しき男だった。
 いつも黒いシャツに黒いズボンという出立ちで、髪の毛は肩くらいまで伸びていてボサボサ、顔は青白く、手足は針金のように細い。一言で言えば、不気味な男だった。
 二階堂は顔を引きつらせ、この男が入ってきたことによって湿り気を帯びたように感じる店内に視線をさ迷わせた。この調子が毎日、もう1ヶ月近く続いているのだ。

 最初、二階堂は、自分の作ったケーキは芸術品と同じなのだからとくと眺めるがいい、というような鷹揚さを持っていた。
 しかし、それが毎日続くようになると、段々薄気味悪くなってきた。しかも、この男が店内にいる間、客が一人も来ない。
 それはそうだろう。30代も後半のいいオヤジが、ショーウィンドウの前に座り込んで食い入るようにケーキを眺めているのだ。あまり眺めて快いものではない。たまたま通りかかってそんな光景を見たら、入ろうという気持ちを萎えさせてしまう。
 誰か他の客が入ってくれば、その客をある意味でダシにして「他のお客様のご迷惑になりますので」とお引取り願うこともできる。が、客が一人も入ってこないことには、それもできないのだ。
 二階堂は唸りたくなる気持ちを押さえ、男のボサボサの頭を見下ろした。
 もしかしたら、と二階堂は考えたのだ。もしかしたらこの男はポワンの回し者で、客を遠ざけるために嫌がらせをしているのでは、と。
 しかし、今日ポワンに偵察に行った限りでは、そんな素振りは見当たらなかった。

「本日のお勧めは、チェリーとベリーのタルトでございます」
 二階堂はわざと大きな声でその男に声をかけたのだが、男の方は二階堂の声など聞こえなかったように、ケーキを眺めることに夢中だ。
 これもいつものことだった。
 男は飽きるまでケーキを眺めて、そして店で一番安い"焼き菓子の詰め合わせ"を買って帰っていくのだ。男がケーキを買ったことはない。この一ヶ月近くの間、一度も。それが、二階堂のプライドを傷付ける。
 ケーキは眺めるためのものではない。食べるためのものだ。そのために二階堂は毎日、食品の安全を考え、身体によい天然の材料を使い、丹精こめて作っている。
 それを、この男は分かっていない。
 値段が高すぎて買えないのかと思い、二階堂は少し小さめの、焼き菓子の詰め合わせと同じ値段のケーキを出した。ところが、男はそれを買わないで、やはり焼き菓子の詰め合わせを買うのだ。
 二階堂のプライドはズタズタだった。
 毎日毎日、焼き菓子が出る。ポワンに偵察に行ったとき、主力商品にブリュレと焼き菓子を挙げたことに、二階堂は自分の舌を噛み切ってやりたいほどの屈辱を覚えた。

 なぜ、うちに来るのだ。
 二階堂は知らず知らずの内に男を睨みつけながら考えた。うちは焼き菓子がメインではない。蓮太郎のところのポワンなら、焼き菓子も種類が豊富で、うちよりも安価だ。
 それなのに、なぜ、うちに来るのだ。
 なぜ、うちなのだ。

 男は来た時と同じ姿勢で、やはり飽きもせずケーキを眺めている。その表情は黒いボサボサの髪に隠れて判然としない。笑っているのか、渋い顔をしているのか。ショーウィンドウに置かれた手は、なにか密林の中の得体の知れない生き物のように、乾燥しているのだか湿っているのだかも分からない。
 二階堂の苛立ちは、頭のてっぺんから宇宙ロケットでも打ち上げそうな勢いで募っていく。
 なぜなのだ。
 なぜ。

 店の外の通りは嘘のように真っ白で、夏の日差しを嫌っているのか窓の向こうを歩く人もいない。店内には低く音楽が流れているはずなのに、やけに静かに感じた。生き物の気配すらしないように思った。店内のものすべてがガラス細工で出来ているように思えた。
 ふと、二階堂は思い出した。
 蓮太郎のところのポワンの店内、花屋と間違えるほどのドライフラワーの数々を。そして二階堂は店内を見回す。花はない。生花の代りに、シュガークラフトと呼ばれる砂糖で作られた花を飾っている。

 不意に、二階堂は妙な気分に陥った。
 パティシエの勉強をするために、しばらく留学していたフランスで聞いたことがある。悪魔は花を嫌うとか。ハエを寄せ付けないためにゼラニュームを飾るとか。
「まさか」
 笑い声を出そうとして、喉の奥で詰まった。
 男が顔を上げる。ボサボサの髪の向こう、青白い顔、そして妙に光って見える両目。ショーウィンドウの上に置いてある焼き菓子に伸ばされる手は、細く生気がない。
 この男は悪魔かハエか。
 二階堂は自分の想像に空恐ろしくも滑稽なものを感じながら、いつものように焼き菓子を買って帰る男を見送った。
 男が悪魔であろうとハエであろうと、単なる不気味な人間であろうと、二階堂にとってはどうでもよかった。
 次こそはケーキを買わせてみせる。
 二階堂は男が出ていってすぐに、明日、どんなケーキを店に並べるか考え始めた。悪魔だろうとハエだろうと、ケーキを買わせてこそ、天才パティシエたる証だと二階堂は考えているのだ。
 次こそは。
「よし。明日は、今日蓮太郎に講釈してやったシーニュでも作ってみるか」
 二階堂はやる気をみなぎらせて、フンと鼻から息を吐いた。



 

 

ケーキ屋さんの番外編です。
蓮太郎のお店ポワンとライバル関係にあるコロネ。
そこのパティシエ 二階堂は少し変わり者です。
そして、雇われ店長として苦労しています。
がんばれ、二階堂!

(2006.07.30)
 

 

 

 

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