パァァンという小気味よい音が鳴った。僕にとっては小気味よくもなんともない、ただの痛い音。 「サヨナラ!」 公園のベンチから、佳代子だったか佐代子だったか、ケイコだったかもしれない女が立ち上がり、駆け出した。まるで追いかけてきてくれることを期待しているような、ヨタヨタ走り。 大きく伸びをして見送った。 ヒリヒリする頬。ひとつ吐いたため息が、白い煙のように見えた。 「寒い、かも」 ノロノロと立ち上がる。もう女の姿は見えない。それを確認してから、公園から歩き出した。 別れ話は、いつだってドラマチックだ。 自分が主役じゃないと知らされる、それも舞台上で。実に残酷な幕引きの合図。それを見物できるのは、主役じゃない2人だけ。 滑稽だ。実に滑稽な恋愛劇―― それでも僕は恋をする。根底にあるものから目をそらすため。恋を繰り返す。出会いと別れの恋愛劇を。 彼女のことを考えないでいたいから。 *** 1DKのアパートに明かりが広がった。積み上げられた雑誌の束、飲みかけのペットボトル飲料。 雑然とした部屋に似つかわしくない、革張りのソファー。その上に座る、キミ。 「ただいま」 キミが微笑みをくれる。やわらかな微笑み。でもそれ以上はくれない。キミは人形。精巧にできているけど、人間ではない。 砂漠で見る月のような瞳が、ジッと僕を見詰める。 「ああ、ごめんよ。そう、僕はまた……」 1DKのアパートで、僕は人形と暮らしている。 そういう僕も、去年までは、人形だった。 *** 人間になりたい。 僕は、いつからか、そんなことを願うようになった。 ドールショップのショーウィンドウに立ち、街行く人を眺める日々。いつ、キミと引き離されるか、毎日不安に思った。 キミに恋をしていた。 「うわ、本物の人間みたい」 「きれいねぇ」 「でも、両方はちょっとね」 「こっちの女の子だけでいいかも」 「こっちの男の子がいいわよ」 そんな残酷な声を、毎日、聞いていた。笑みを浮かべたまま。人形だから。ただ微笑んでいた。微笑むことがすべてだった。 「大丈夫よ、2人そろって買ってくれる人にしか売らないからね、心配しないで」 いつもそう言って、ドールショップの店長が慰めてくれた。 でも悲しかった。 必ず、お別れが来る。必ず、キミと離される。必ず、一人ぼっちに……。 それは、いつ? 毎日、そればかり思った。 *** 「人間になりたいか?」 ある夜、ショーウィンドウの前にできた黒い影が、話しかけてきた。 人間に? 「ああ、人間にしてやろうか?」 ほんとう? 「ああ、人間にしてやる」 黒い影はそう言って、ショーウィンドウにピタリと張り付いた。――瞬間、ショーウィンドウが砕けた。 「うわ!」 僕は思わず後退した。 「あ……」 僕の足が、動いた。僕の手が、動いた。 *** 「あら、いらっしゃいませ」 ピカピカに磨き上げられたショーウィンドウを眺めながら、自動ドアをくぐった。途端に飛んでくる、やわらかな微笑みと優しい声音。 「今日はどんなものをお探しですか?」 微笑む彼女は、この店の店長。 「そろそろ寒くなったから、あの子に似合うショールが……」 「ええ、そうですね。本当に、ここのところ、急に寒くなって」 彼女は僕に背を向けて、ショールが何枚もおさまった棚に手をやる。 それを僕は、手持ち無沙汰に眺めていた。 「こんなに寒いと、アレンが心配だわ」 「……アレ…ン?」 「ええ、そうなんですよ。今年の夏、ショーウィンドウが割られて、アレンという人形を盗まれてしまって」 「………」 「盗みを働く人が善人のわけはないでしょうから、あれ以来、アレンのことが心配で心配で、たまらないんですよ。ちゃんとお手入れをしてもらっているかしら、髪をとかしてもらっているかしら、お洋服を変えてもらっているかしら、そんなことばかり」 彼女はクスリと笑う。 僕は知らず、拳を握り締めていた。 「イザベルは幸せね」 彼女は満面の笑みを浮かべて振り返った。僕に向けて、橙色のショールを差し出す。 「あなたのように優しい人に買われて良かったわ」 「………」 本当は、優しくなんかない。僕は…… 「どうかしました?」 「いえ……」 僕は拳を解くと、彼女の差し出したショールを受け取った。イザベルに似合いそうだ。そんなことをモゴモゴ言った。 「そうでしょう? わたし、あの子たちのことなら何でも分かります。だってあの子たちのことで頭が一杯なんですもの。ですから、この間の、お誘いは……」 「……そうですか」 「ごめんなさい」 「いえ……」 僕はポケットから財布を取り出すと、彼女に代金を払って店を出た。 僕は人間になりたかった。 人間の彼女が好きだったから。 でも彼女は僕を愛さなかった。 人形しか愛せない彼女。 キミの傍にいたかった。 もう戻れない、でも戻りたい、キミの傍に。 もう僕は人形じゃない。 それでも僕は、やっぱり人間に恋をする。 気持ちは人形のまま。
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| ありきたりなストーリー展開になってしまって、 反省。 求めたものが求めた通り与えられるなんて思うのは、 子供の頃だけだから、 許される間は背伸びせずに謳歌しよう。 (2004.11.28) |
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