+-++-++ 接触不良 ++-++-+
  
 
 
 前髪が気に入らない。
 確か、そんな些細なことだった。2ヶ月ぶりに美容院に行ってカットしてもらったら、いつもより少し短く切られた。
 それから、イライラの虫につかれたように思う。
 
「亜紗美、機嫌悪いみたいねー」
 
 いつも仕事帰りに寄るカウンターバーで、8年もののスコッチを傾けながら恩田が言った。顔には今年流行の化粧品が勢ぞろいで塗りたくられている。
 
「その年齢で、もう更年期?」
 酒のにおいをまとった息が、アタシの苛立ちを煽った。ドンとグラスをカウンターに置くと、アタシはバーテンに合図する。
 
「同じの」
「ちょっと、あんた、呑みすぎじゃない?」
 
 恩田との付き合いは、かれこれ10年にもなる。恩田は高校時代のアタシの2つ上の先輩だった。同じ演劇部で、同じ夢を描いて上京してきた。
 先に恩田が上京して、アタシはそれを追っかけてきたようなもの。分かりやすく言えば盟友だった。でも共に夢破れ、現在に至る。今では単なる呑み友達。月に1回、お互いのスケジュールが合う時だけ、逢って呑んだくれる。
 
 最近ではすっかり愚痴が増えた。
 
「呑みたくもなるわよ」
「また仕事のこと?」
 
 恩田の嫌そうな声。カウンターの奥の席に陣取ってから、既に1時間。アタシの口からはそれしか出てこない。恩田はハッキリと顔に『勘弁してよ』という色を乗せて、フンと鼻を鳴らした。
 それを分かっていても、アタシの口は止まらなかった。
 
「だってねぇ、お前には常識がないってそればっかり言いやがって、あのオヤジ。だいたいねぇ、あのオヤジが言ってる“常識”ってのは、あの会社の常識であって、ユニバーサルな、社会の常識じゃないの。そんなことも分かってないんだから。それにね、ネチネチ厭味を言いながらアタシのこと上から下までジロジロ見てんのよ、むかつく。セクハラで訴えてやりたい」
「あーはいはい」
「ちょっとー、恩田、ちゃんと聞いてよ」
「あのねぇ、亜紗美、だったらこっちの愚痴も聞いてよね」
「ちゃんと聞いてるじゃない」
「聞いてないわよ。さっきからあんた自分のことばかり」
 限られた自動販売機でしか買うことのできない外国製の細いシルエットの煙草に、黒い本皮で巻かれたライターで火をつけながら、恩田が目を細めた。
「こっちだって、色々大変なんだから」
「………」
 
 アタシが16、恩田が18で出会ってから10年。アタシたちは生きていくことの大変さ、女であることの難しさを、毎日、毎朝毎晩、毎分毎秒、とてつもなくヒシヒシと感じるような年齢になっていた。
 もうそれほど若くはない。だから仕事がつらくても我慢。辞めたって次がない。上司のセクハラにも耐える。耐えなければ、ただでさえ“お局候補”扱いで肩身の狭い中、本当に身動きが取れなくなってしまう。
 
 アタシと恩田は、どちらからともなく深いため息をついた。
 
 そのときだった。
 バーに1人の男が入ってきた。
 
「ねえ、ちょっと」
 恩田がアタシを突付き、アタシも男を眺めた。
 見た目はまぁ普通。スーツは無難なブランド。ネクタイはそれより上のブランド。時計は逆輸入でひそかに人気のあるアイテム。
 
 悪くない。
 
「……勝負?」
「いいわね」
 
 恩田もアタシも、がっついているようには見られないように細心の注意を払いながら、男へのアプローチを開始した。
 
 一言で言えば、この瞬間から、アタシと恩田は友達をやめる。
 
 アタシたちは女同士。熾烈なライバル心を持って戦ってきた戦歴がある。高校時代には主役の座をかけて。上京してきてからはオーディション会場で。そして今は、どちらが先に男を落とすことができるか、バーのカウンターで。
 
 
***

 
 軍配は恩田にあがった。
 アタシはひとり淋しく、カウンターに置かれたバーボンを見詰めた。グラスの中で、テニスボール大の丸い氷がキラキラと無駄に輝いている。
 
「あぁぁぁぁっ」
 
 誰に聞かせるでもなく、息を吐くついでに声を出した。カウンターの中からバーテンのギョッとした視線が飛んでくる。
 
 きっと前髪を切りすぎたせい。
 
「ねえ、ちょっと、同じのもらえる?」
「……………」
 
 ボソボソっと、バーテンが答える。何を言っているのかまるで聞こえなかったけれど、きっと『只今』とか『かしこまりました』とか『ヤケ酒ですか』とか、そんなものよ。聞かなくて正解よ。
 
 丈の短いグラスの底では、溶けていく氷と少しだけ残ったアルコールが、奇妙な模様を作り出しては変化させていく。
 
 アタシたちもそう。
 
 勝者になったり敗者になったり、時には2人ともふられることだってある。でも今夜に限ってなぜ、恩田に持っていかれたのか。
 
 きっと前髪を切りすぎたせい。
 
 何もかも気に入らない、今夜は特に。恩田に負けたことじゃない。前髪が短いこと。恩田に勝てなかったことじゃない。前髪が気に入らないこと。
 
 イライライライラ。イライライライラ。
 
 女の友情なんて氷よりも溶けやすい、アルコールより抜けやすい。女同士で10年も付き合いがあるだけで、奇跡としか言いようがない。
 
 そうよ。
 
 女同士なんて、壊れかけの電化製品みたいにおっかなびっくり様子を窺いながらじゃないと続かないの。そうやっておっかなびっくり続けたって、壊れるの。その程度なの。
 
「ちょっと、いつまで待たせるのよ」
 
 苛立ち紛れにバーテンに声を投げると、気弱そうなバーテンが氷をアイスピックで突付きながらまた何かボソボソ言った。それよりも――
 
「ちょっと、あんた、呑みすぎ」
「……恩田」
 
 さっき男と寄り添うようにして店を出て行った恩田が、またアタシの前に現れた。
 
「やだ、これ、夢? アタシ、そこまで酔ってる?」
「なに言ってんのよ」
 アイシャドーの辺りに呆れの色をにじませて、恩田がアタシの隣に腰を下ろした。こっちにもスコッチと、いつもの銘柄をオーダーする。
 
「戻ってきたの」
 アタシの隣に座って、さっそく細い煙草に火をつけながら恩田が笑う。アタシに向かって、煙草の煙を吐きかけながら。
 
「ちょっと!」
 文句を言おうとしたアタシの前で、恩田が急に物憂い顔でカウンターに頬杖をついた。首をねじって、アタシの方に顔を向けてくる。
 
「亜紗美、前髪切りすぎよ」
 
「もう、言わないでよ」
 
「あんたさ、高校時代にも、秋のコンテスト前だっていうのに髪の毛切りすぎて、ギャアギャア泣いたでしょ」
「もう、言わないでったら」
 
 アタシたちは、どちらからともなく笑い出した。
 
 思い出話に花を咲かせるアタシたちの前に、バーテンがグラスを置いた。気弱そうだけど、近くでよく見ると悪くない。
 
 その瞬間。
 恩田がニヤリと笑った。
 
「勝負?」
「えー、もうっ」
 
 女同士の友情は一筋縄ではいかない。スイッチが入ったり入らなかったり、接触不良のおっかなびっくりの友情。
 
 でもアタシたちは、それに慣れている。
 
end  

 

接触不良のものって、イライラしますよね。
付いたり付かなかったり、その度にイライラ。
でもどうしてだろう。
けっこうイライラしながらも、そのまま使い続けちゃう。
私だけでしょうか?

(2004.12.12)
 

 

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