+-++-++ 門 ++-++-+
  
 
 
 足は肩幅に開き、左手は後方に回し腰に当て、右手には古めかしい槍を持ち、直立不動――常に門に背を向け正面を向いていること。
 
 それが門番としての私の仕事だ。
 
 街の中心部にある堅牢な構えの門戸。門の正面は大きな公園になっており、私の目の前を老若男女が通り過ぎていく。誰もこちらを見ない。誰も私の存在を気にするものはいない。
 
 ………否。いなかった。今までは。
 
 
***

 
「なにしてるの?」
 
 プックリとした焼きたての白パンのような頬に、まだあどけなさを残した顔が、右に大きく傾いた状態で私を見上げてきた。
 瞳だけを斜め下に向けてその存在を確認する。5歳くらいの男の子だった。物珍しそうに瞳を輝かせている。だが、私は表情ひとつ変えることはなかった。
 
「ねえ、なにしてるの? ――おじさん」
 
 おじさんという言葉に、うっかり反応してしまいそうになったが、口の中にたまった唾液を飲むことでしのいだ。私はまだ35歳、まだまだ“おじさん”という言葉は拒否したいと思っている。その割りに、まだを連打したくなる気持ちは自分でも見苦しいと思うほど強い。
 
「陽介ったら、ダメよ」
 彼の母親らしき女が走り寄り、私にチラリと一瞥を投げてきた。表情のない瞳だった。すぐにその瞳を彼に向け、笑顔で彼を抱きかかえた。そのまま無言で去っていく。
 
 母親の背中越しに、彼の頭が不思議そうに傾くのが見えた。
 
「おかーさん、あの人――」
「あの人には話しかけちゃいけないのよ」
「どーして?」
「迷惑になるの」
 
 それ以上の疑問を阻む口調であった。幼い彼はそれを理不尽と感じたのだろう。プウと頬を膨らませて身体をねじると、私に向かって手を振り出した。
 
「バイバイ、おじさん、バイバイ!」
 
「陽介ったら、やめなさい」
 彼の母親は彼を叱ったけれど、彼は私に手を振り続けた。周囲の人々が眉間にわずかに不穏なものを忍ばせて、彼ら母息子を見ていた。
 
「バイバーイ!」
 
 彼の小さく丸っこい五指が、角度のあまりない真冬の太陽を、右に左にさえぎる。私はそれを無表情で見送った。
 
 
***

 
 翌日、彼は再び私の前に現れた。彼の母親は別の同じような格好をした婦人と、さかんに手をヒラヒラと動かしながらお喋りをしていた。
 彼が私を見上げてくる。昨日と同じプックリとした頬で、しかし今日は物珍しい瞳は影を潜めていた。
 
「あのね、あのね、おかーさんがね、おじさんは門の前に立って、色んな人を見てなきゃいけないから、話しかけちゃいけないって言うの」
 
 それは正しいようで正しくはない。
 
 私は別に公園を散策する人々を監視しているわけではない。無論、目に映ってはいるが、それほど気にしたことはない。あちらが私を気にしないのと同じように、私もあちらを気にしないのだ。それは何十年という歳月の中で作られた、門番と公園を散策する人々の暗黙の了解、ローカルルールでもあった。
 だから彼にも早いところ察知してもらって、どこかへ行ってもらいたい。
 
 ところが。
 
 ちょこん、という音でも聞こえてきそうな仕種で、彼が私の隣に陣取った。私と同じように、目一杯しかつめらしい顔を作っているようだ。
 
 大人の真似をしたい年頃なのかもしれない。私は独身だが、子供を連れて遊びに来る親子を見続けて、早10年。そのような光景をよく目にした。
 
 さて、いつまでもつやら。
 
 私は無論、無表情無言で立ち続けた。
 2分後、早くも彼の身体がグラグラと揺れてきた。飽きたようだった。しきりに身体を左右に揺らし、何かのリズムを取っているようにも思える。
 それから1分も経たないうちに、まるで『急に重力が倍になったんだよ』と言わんばかりの顔で、その場にしゃがみ込んだ。
 ふてくされているのかと思いきや、どこか楽しそうに瞳を輝かせて私を見上げてきた。
 
「おじさん、えらいんだねー」
 
 思わず、眉を動かしそうになった。えらいと言われたのは初めてのことだった。
 
「陽介ー」
 彼の母親が彼を呼び、彼は「はぁい」と私の隣から走り出していった。
 
 それから、公園に来るたび彼は、私の隣に陣取り、私に話しかけてくるようになった。
 
 
***
 
 
 あれから10年が経とうとしていた。
 冬のこの時期は、正面にある公園の人通りも減って、角度のない冬の太陽が私の目にこの世のすべての輝きを集めて送ってくる。――ありがた迷惑とも知らず。
 
 久しぶりに、本当に久しぶりに、彼の姿を見た。
 
 何かたちの悪い冗談かと思うような古めかしいばかりの制服に身を包み、同じ制服の集団の中にいた。集団からは、1秒たりとも無言の間を作らないとみんなで決めているかのように、さかんに笑い声が上がっている。
 
 ふと彼が、足を止めて、私の方に首を捻って顔を向けてきた。
 6年ぶりだろうか。彼が公園に来なくなってから。
 
 どこか感傷的な思いが私の胸の内にあった。それは彼も同じだったのかもしれない。集団から離れて、私の方へと足を向けてきた。
 
「おじさん、まだ立ってたんだ」
 
 背が伸びた。今や目線が私とそれほど変わらない。
 
「相変わらず無表情だね」
 
 声が低くなっていた。口調が大人びた、表情も大人びている。笑い方も変わった。少しはにかんだような笑顔。すべて変わって見えた。
 
 ただし、瞳だけは、あの頃と同じく輝いていた。
 
「おじさんは俺のことなんか覚えてないかな」
 
 そんなことはない。
 ただ、それを表情に出すことはできなかった。無論、言葉にも。
 
「5年ぶりだっけ、6年ぶりかな。ここは変わってないね。おじさんも」
 
 もう、おじさんと呼ばれることを拒否するような気持ちは、私の中になかった。当然のことにように受け止めていた。
 
「俺ね、ずっと不思議に思ってたんだよ。この門の向こうに何があるのか。おじさんに何度か聞いてみようかとも思った。でも、おじさんは絶対に答えてくれないじゃん。親に聞いたって、そんなことは知らなくていいの一点張りで」
 
 少し、彼の表情が曇った。
 
 だからここに来なくなったのかな、という自問の言葉が続いた。
 
「だってさ、知りたいのに知らなくていいなんて、冗談じゃないと思わない?」
 
 ああそうか、と思った。
 彼は知らないのだ。この門の向こうに何があるのか。私が背を向けているもの、ほとんどすべての大人が背を向けているものが何なのか。
 
「俺、また来てもいい? ――って、聞いてもおじさんは答えてくれないよね」
 
 彼は私から視線を外すと、私の背後にある門へと視線を投げた。その瞳の中には、純粋で、だからこそ強烈な疑問が見えた。
 
 この向こうに何があるのか。
 
「知りたいよ。たぶん、こうやって隠すから、あまり善くないことなんだと分かるけど、それでも知りたい」
 ムフーッと大きく鼻から息を吐き出すと、彼は当時を彷彿とさせる笑顔で言った。
 
「おじさん、バイバイ! また来るよ!」
「………」
 
 走り去っていく彼の背中を眺めていると、自分の瞳が徐々に細くなっていくのが分かった。冬の太陽が眩しいせいではない。
 
 
 彼はきっと門の向こう側を知る。
 
 大人たちが高く堅牢な門で隠した過去を。今も背を向け続けている忌まわしき過去を。
 
 苦しむかもしれない。
 
 だが、恐らく、その日から、世界は新しく動き出す。
 
end  

 

門の向こう側には何があるのでしょう。
知りたい、知りたくない。
葛藤があってこそ、門の意味も生まれるのでは。

(2004.12.24)
 

 

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