+-++-++ アポロ ++-++-+
   
 
 宇宙には空気がないって聞いた。それが常識だとか。太陽はいつか超新星になって爆発するって聞いた。それも常識だとか。
 太陽が爆発した後に残るのは、ただ暗い暗い、ブラックホール。
 あたしに起こった4月のクラス替えも、そんな暗いだけのブラックホールを残した。

*

「樹理、帰ろうぜ」
 麗太に言われて顔を上げた。4月のクラス替えで別々になったけど、あたしの彼氏。入学式で顔を合わせてお互いに一目惚れして、すぐに付き合うようになった。1年続いた。今年の4月で。
 あたしは机に視線を落として手を動かした。
「見て分かんない? あたし、日直なんだけど」
 思いがけず冷たい声になって、あたしは心の中でそっと慌てた。そっと慌てるなんて変な言葉だけど、見えないところで静かに慌てることもあるんだと、あたしは最近感じるようになった。

 麗太はあたしの機嫌が悪いことに気付いたのか、「どうしたんだよ」なんて少しムッとしたような声を出した。

 最近、こうなることが多い。
 前は簡単だった。日直かどうかなんて、教室でお互いの様子を見れば分かる。もう少し時間がかかりそうかなと思えば、教室で待っていられた。
 でも今は違う。
 4月のクラス替えで、あたしと麗太は離れ離れになった。それだけじゃない。あたしは今まで仲良かった子たちと離れて、知っている子のひとりもいないクラスに放り込まれた。4月からあたし、暗い気分で毎日を過ごしていた。

 でも麗太は違う。
 仲の良い男子たちとまた同じクラスになれて、しかも麗太のクラスには"ミス純高校"がいる。うちの純高で一番の美人が。
 毎日、一緒に帰りながら、麗太がその"ミス"の話をしたことはない。したことがないから、余計に、気になった。
 本当は休み時間に仲間たちとワイワイ話をしているんでしょ。ミスってやっぱかわいいよな、とか。ミスってやっぱ笑顔がいいよな、とか。空気が違うよな、とか。おまえちょっと話しかけてみろよ、とか。

 前はそういう雰囲気も、同じ教室にいたから分かった。分かっていたから、少し余裕を持っていられた。どうせ口だけなんだからって、笑っていられた。

 でも今は……。

「樹理、なあ、あのさ。……なに怒ってんの?」
 麗太のぎこちない声に、あたしは泣きたくなった。怒っているわけじゃない。一緒にいられる時間が少なくなったんだから、前よりもっともっと楽しくしようと思うのに。心が空回りする。

「いいよ。先帰って。あたし、もうちょっとかかるから」
 麗太の顔を見ないで言った。シャープペンシルを握り締めて。去年、麗太と一緒に歩いている時に見つけたシャープペンシル。ノックする側にプラスチックの薔薇がチェーンでぶら下がっていて、動かすたびに揺れる。
 日誌の上で、意味もなくブラブラと揺れている。

 麗太がそれを見ているか、顔を上げて確かめたくなった。でも麗太は疲れたようなため息を吐き出して、あたしの頭を軽く叩いた。

「じゃあ、な」
 たったそれだけだった。
 麗太は上履きをキュッと間抜けに鳴らして、あたしに背を向けて歩き出した。教室に並ぶ机をよけて歩きながら、教室のドアを開けて出ていった。

 麗太がいなくなった途端、急に教室が宇宙空間になってしまったみたいだった。空気がなくなったみたいに息が苦しくなって、太陽より遠く離れた空間みたいに真っ暗になったと感じた。
 あたしはひとりぼっちで、暗くて空気のない宇宙空間をさ迷っている。

「……なによ、麗太の、ばか」
 あたしの気持ちだって察してよ。知っている子のひとりもいないクラスで、新しく友達を作るのってほんと大変なんだから。毎日、気を使って、ストレスばりばりなんだから。

 泣きたい気持ちに心細さが加わった。目にジワリと涙がたまった。
 あたしは涙をこぼさないように、急いで顔を上げた。教室で泣くのなんて、そんなますます泣けてくるようなことはしたくなかった。

 そのとき、ふと。
 隣の机に何かが置いてあることに気付いた。
 四角の箱に、三角形のイチゴの柄。

「これ……」
 あたしの大好物、アポロチョコだった。三角形のチョコレート。ピンクの部分と茶色の部分がキュートなお菓子。
 初めて人類が月に降り立った時の、宇宙船アポロ11号にあやかって付けられた名前。 暗くて空気のない宇宙空間を、人々の希望をのせて月まで飛んでいった宇宙船。

 涙が出た。
 麗太があたしのために置いていったって、すぐに分かった。

 あたしは書きかけの日誌をそのままに教室を飛び出した。明日、先生に怒られるかもしれない。でも、いい。怒られても平気だと思った。

「麗太!」
 あたしは大声で呼んだ。麗太は昇降口であたしのことを待っていた。その姿を見つけたとき、あたしは全力で走って麗太のところに向かった。
 走っている間、ずっとアポロチョコがカシャカシャと箱の中で音を立てた。

 それは希望の音。愛情の音。麗太の思いやりの音。
 その音は、とっても、とっても、心強かった。


 
end  

 

環境の変化はマイナスばかりだとは限りません。
相手の思いやりの心をきちんとキャッチできれば、
どんな環境であっても、きっと大丈夫。

(2006.04.19)
 

 

 

インデックス           小説置き場