+-++-++ きみはハートブレイカー ++-++-+
   
 

 先週の放課後に見た。たまたま忘れ物を取りに戻って、昇降口のところから教室へと続く階段の前で、あいつがフラれているところを。
「他に好きな人がいるから」
 そんな常套句が、隣のクラスの西川の口から弾き出されて、そのBB弾みたいな小さな粒があいつの額のど真ん中を貫いたみたいに、あいつはガックリ肩を落とした。
 とんだところに居合わせた。
 それじゃ、なんて西川に背を向けられて、あいつは立ち尽くしていた。肩を落としたまま、去っていく西川の実物じゃなく、その足元から伸びる影を見詰めて。
 見つかったらマズイと思った。
 でも隠れるような場所もなかった。

 あいつとは、幼稚園からの付き合いだった。たまたま家が近所にあって、たまたま親同士が同じ趣味を持っていたこともあって、小学校の低学年くらいの時には、いつも隣にあいつがいた。
 近所の公園で走り回って遊んだ。泥だらけになって、二人で仲良く親から叱られた。意地悪な上級生にケンカを吹っかけられて、あいつはケンカなんてよくないって、よく泣いた。
 いつもあいつが隣にいた。
 笑う時も泣く時も、親に内緒でいたずらをする時も。
 その距離が、いつの間にか遠くなり、たとえ同じ学校に通っていてもほとんど口を利かなくなったのはここ最近。
 お互いに、思春期に入ってから。

 月曜日、あいつはいつも通り学校に来た。西川にフラれたなんて、その顔にはうっすらとも書いていないような、そんないつも通りの顔をして。
 だけど廊下を歩く時、あいつは下を向いて歩いていた。隣のクラスから人が出てきただけで、すぐに教室に舞い戻ってきた。
 あいつは不自然なくらい、友達とバカ騒ぎをしていた。教室中に響く声で、意味のないようなバカ話をしていた。テレビの話、学校の噂話、近所の変わった人の話。
 みんな気付かない。あいつのテンションが異常に高いことに、みんな気付かない。

 火曜日、あいつは少し寝不足の顔で学校に来た。友達に何か言われて、ゲームに夢中になって、なんてことをボソボソ言っていた。
 授業中ぼんやりと窓の外を眺めていて、何度も先生に注意を受けていた。そのたびにあいつは、どこか困ったような、ホッとしているような、そんな複雑な顔をみせていた。
 昨日とは打って変わったテンションの低さに、あいつの友達が戸惑っていた。休み時間のほとんどを、あいつは自分の机に突っ伏して過ごしていた。
 その日は雨だった。誰も彼も憂鬱そうな顔をしている、雨の日だった。

 そしてそれは水曜日。
 あいつは学校を休んだ。騒々しい教室の中で、ポツンと、あいつの机の周りにだけ穴があいたように静かだった。
 少し、心配になった。

 木曜日になっても、あいつは学校に来なかった。朝、教室に入ってからずっと、あいつの姿を探している自分に気付いた。もう来ないと分かったホームルーム後にも、教室にあいつの姿を探していた。そんなこと、ここ最近なかったのに。
 移動教室のとき、廊下で西川とすれ違った。
 西川は友達と何か話しながら、あいつのことなんて頭の片隅にもないように、世界には喜びしか存在しないような明るい顔で笑っていた。
 それを見たとき。
 何だかとても腹が立った。
 わけも分からず。

「ちょっと出かけてくる」
 家に戻ってからすぐに、母親にそう告げた。専業主婦をしている母親は台所から顔を覗かせて、何か珍しい生き物でも見るようにこっちを見た。
「どうしたの、珍しいわね」
「なにが?」
 玄関で振り返って聞くと、母親はエプロンを揺らしながら豪快に笑った。
「だってあんたいつも、出かけるも何も、一言も言わずに勝手に出かけてるじゃないのよ」
 母親の一言で、そのことに思い至る。
 どうして今日に限って、出かけることを宣言しなければならなかったのか。分かっている。そうしないと踏ん切りがつかないくらい、何か、遠い距離を歩いていかなければならないような気分だったからだ。
 実際はとてもとても近いのに。
「たっちゃんのところに行くんだよ」
 早口で言った。母親が聞き取れなければいいのにと思った。だけど、さすがに母親というのは侮れない。
「あらそう。本当に珍しいこと。たっちゃんによろしく言っておいて」
 よろしくなんて、言える場合じゃないかもしれない。
 そんなことを胸におさめて、家を出た。

 たっちゃんの家のおばさんは、こっちが赤面してしまうくらい大げさに迎えてくれた。有名なコメディアンの、全身ピンク色のあの人に似ている。超ハイテンションで、どこか奇声のような声で。
「アラーやだーまぁーどうしましょう、あらーまあーねー、久しぶりねー、たっちゃーん、たっちゃーん」
 たっちゃんの家のおばさんが、たっちゃんの部屋まで案内してくれた。たっちゃんは、ベッドの中でこっちを驚いた顔で見詰めてくる。
「ど、どうしたの?」
 先週打ち抜かれた額に、熱を冷ますシートを貼っていた。顔が赤い。声が鼻にかかったようなひどいものになっていた。
 そして、たっちゃんがこっちを呼ぶ。昔みたいに。
「玲子ちゃん、どうしたの?」

 その瞬間に、あたしは思い出す。

 そうだ。
 そうだった。
 たっちゃんは、こういう奴だった。

「別に。ちょっと気が向いたから」
 あたしはたっちゃんの部屋を見回した。男のくせに整理整頓されていて、それでも昔はなかった整髪料やらアフターシェーブローションやらを見つけて、あたしは妙に居心地が悪くなる。
 たっちゃんはベッドの中で咳をした。
「ごめん、風邪引いてさ。もしかして、お見舞いに来てくれた、とか?」
「別に……ってか違う」
 あたしはそう言ったのに、熱でうかされているたっちゃんには聞こえなかったのか、まったく違う反応をみせた。
「嬉しいなぁ。昔もよくおれが風邪引いたとき、玲子ちゃんがお見舞いに来てくれたよね。たいてい、寝込むのはおれだけでさ。いつも一緒にいるのに、玲子ちゃんは絶対に風邪引かなかったよね」
 そんなわけはない。
 たっちゃんは知らない。お見舞いにいったその後で、あたしがいつも寝込むのを。たっちゃんの風邪を貰ってきて、いつも決まって寝込むのを。
 でもあたしは一晩でケロリとするから、たっちゃんが元気になる頃には、あたしも元気になっている。

 だからたっちゃんは知らない。
 でも、あたしは知っている。

 最初にたっちゃんが寝込んだのは幼稚園の桃組のとき。幼稚園の先生が好きで、その先生が結婚することを知った五日後だった。
 その次にたっちゃんが寝込んだのは小学校一年生のとき。通っていたスイミングスクールの女の子が好きで、その女の子が引っ越すことを知った五日後だった。
 そのまた次にたっちゃんが寝込んだのは小学校二年生のとき。相手が誰だったか忘れたけれど、とにかくその子が他の誰かと仲良しだと知った五日後だった。
 たっちゃんはショックなことがあると、いつも五日後に寝込む。

 それを、あたしは知っている。
 ただ、忘れていただけ。
 考えてみれば、先週から水曜日の学校を休む日まで数えると、ちょうど五日後だった。今も、たっちゃんは変わっていない。
 そしてあたしも。

 あの頃から男勝りのあたしは、早く元気になって、なんてしおらしいことは言えなかった。だからあの当時、いつまでもグズグズとたっちゃんの部屋で過ごした。寝込んでいるたっちゃんの横で、漫画なんか読んで。何のために来たのか、分からないようなことをして過ごしていた。
 今も、早く元気になって、なんて口が裂けても言えないと思っている。

 不意にたっちゃんが、こっちを見て笑い出した。最初は小さく、徐々に声が大きくなって、しまいには布団をポンポン叩きながら笑い出した。
「ねえ、玲子ちゃん。先週さ、見てただろ」
 先週と言われて、ドキリとした。
 階段の前でたっちゃんがフラれたとき。全力で走って逃げたけれど、その背中を見られてしまったのかもしれない。
 あたしが答えないでいると、たっちゃんは「やっぱりなぁ」と言った。それきり、言葉が消えた。世界から、言葉のすべてが消えた。
 たっちゃんは口をゆがめて、悔しそうに声もなく涙をポトリと落とした。
 あたしはその横で、たっちゃんが揃えている漫画本を眺めていた。
 ただ静かに時が運ばれていく。
 言葉のない時が。
 言葉にできないものを乗せて。

 今晩きっとあたしは寝込むだろう。
 たっちゃんの風邪を貰って。
 それだけ、じゃなく。

 たぶん、今も昔も、あたしはたっちゃんが好きだ。
 ハートブレイカーな、たっちゃんを見るたびに。
 この思いは、強くなるのだろう。



 
end  

 

恋。
その自覚の芽生えた瞬間。

(2007.01.07)
 

 

 

 

インデックス           小説置き場