でたらめな生き方をしてきた――という自覚はあった。 それが性格によるものなのか、運命によるものなのか、考えてみてもよく分からない。 自分の胸に尋ねたところで、酒に酔っていれば性格のせいだとウジウジとくだを巻くだろうし、己に酔っていれば運命の非情なることを切々と訴えるに違いない。 乾いた寒風が、藤好の顔にまともに吹きつけた。山は巨大な鉄の塊のようにうずくまっている。ところどころに鉄さびのような寒々しい紅葉を見せて。 藤好は誰もいない道を歩いていた。林道のように、狭く曲がりくねった道だった。相棒はどこか遠くで鳴いている、名も知らぬ鳥の声。車の通る気配はない。 いよいよ認めざるを得ない。 道に迷った。 藤好は膝に手を置いて、歩いてきた道を振り返った。緩やかに右にカーブした道は、赤茶けたいくつもの木の幹で遮られてそこで途切れているように見える。 きびすを返して戻ったら、もしかして断崖絶壁になっていたりしてな。 あり得もしない想像をしてみて笑おうとしたけれど、藤好は反対にゾッと背筋を凍りつかせた。 さっきからずっと同じ道をたどっているように思えて仕方がなかった。そのくらい、景色に何の変化もない。ずっと山の中だった。 * バスを乗り間違えた。ほんのささいなミスだった。――その時は。 間違えたことに気付いて慌てて降りて、道の反対側のバス停まで走っていったら、折り返しのバスは三時間後。 頭の中が真っ白になった。 しばらく深呼吸を繰り返し、周囲を見回して、三時間も待つくらいなら元のバス停まで歩いていけばいいと思った。 そして歩き出して一時間。 街の方に向かって歩いているはずが、道はどんどん狭くなっていく。 勘だけを頼りに、曲がり角を、何度か曲がった。曲がるたびに道は細くなる。まるで人生と同じだ。藤好は、歩いてきた道とどこがどう違うのかまるで分からないそっくりな道を、諦めにも似た気持ちで見つめた。 『まったく、お前ってやつは』 耳の奥にでも残っていたのか、笑いを含んだそんな声を聞いたような気がした。空耳だと分かっているのに、胸が焼かれたように熱くなる。 のろのろと、藤好は再び歩き始めた。 足にはなにか妖怪じみたものがぶら下がっているんじゃないかというくらい重かった。 * 藤好が道の横にポツンと立つ赤いポストと古びた建物を見つけたのは、歩き出してからもうどのくらいだったか、時計を見るのもイヤになった頃だった。 建物は古びて見えたけれど、窓とドアはしっかりと磨かれていて、埃が積もっているということはなかった。と言うことは、誰かが拭き掃除をしているということだ。 助かった、という気持ちをぐっと強くして、藤好はドアを引いた。チリンという軽い音。ドアの上に付けられたベルの鳴った音だった。その音を聞いたのか、奥に座っていた人が立ち上がる。 けれども藤好は、店内に置かれているタバコの方に目が行った。 「タバコ、ひとつ」 言い終わる前に、その横の透明ケースに缶コーヒーが並べられていることに気付いた。それで缶コーヒーも追加した。 「はい、ありがとうございます」 見慣れた銘柄と、見慣れたデザインの缶を差し出されて、藤好はポケットに手を入れた。財布を取り出し、お金を払う。その間、タバコと缶コーヒーしか見ていなかった。 「ここで飲んでいっても?」 「ええ、どうぞどうぞ」 店員は気を利かして、藤好の前に丸椅子と灰皿を出してきた。 缶コーヒーはホットだった。指先だけで挟むように持って、一口すする。ズズッと音を立てた。そうしないと火傷しそうなくらい熱く感じたけれど、いざ口の中に入ってきたコーヒーは、それほど熱くはなかった。苦味は、何故かいつもより強く感じた。 ホッと一息ついて、それでようやく店員に目が向いた。 店員はまだ藤好の正面に立っていて、何故かニコニコ笑ってこちらを見ている。 その笑顔に、藤好の胸の中で鳥が鳴いた。どこから紛れ込んでいたのか、なにやらチルチルやっている。その鳥がチルチルやると、藤好の心臓がドキドキ応える。 「な、なんすか?」 あんまりにもニコニコ笑っているので、藤好は決まり悪くなって椅子の上で座りなおした。店員は小さな唇に手を当てて、ごめんなさいとやっぱり笑っている。 「今週に入って初めてのお客さんだから」 「今週?」 藤好は頭の中にカレンダーを描いた。今日はたしか金曜日だ。 「あら、それとも今月に入ってからだったかしら」 それで絶句した。今月といったらもう、明日で終わる。藤好は店員に見つからないようにそっと、足元を見た。とりあえず、足はある。幽霊ではなさそうだ。 店員はそれっきり何も話しかけてこない。 さりとて藤好の前から立ち去ろうともしない。 あんまりにも客が来ないせいで人恋しいけれど、あんまりにも人と話さない時間が長いせいで、何を話しかけていいのか分からないのかもしれない。 まぁいいかと、藤好は缶コーヒーを飲み、タバコに火をつけた。 どこかから隙間風でも入ってくるのか、タバコの紫煙がゆっくりと流れていく。段々と空中で薄まりながら広がっていく煙の先に、ポストカードがあった。 「あれ、売れるんすか?」 ぶしつけだと思いながらも、藤好は店員に聞いた。店員は首を縮めて「ちっとも」と答えた。それでも笑っている。 ポストカードは何の変哲もない景色を写したもので、とてもプロの手によるものとは思えなかった。売り物とは思えないくらい、ピンボケしたものもあった。 それで逆に興味を覚えた。 藤好はタバコを灰皿に押し付けて消すと、そのポストカードの飾られているところまで歩いていった。板張りの床が、藤好の足の下でギイと不満げな声をあげる。 一枚を何気なく手に取る。 「これ、一枚買うよ」 「まあほんとうに? それが売れたのは初めてです」 店員は藤好の傍まできてクスクス笑う。藤好の肩あたりにまでしかない頭が小刻みに揺れる。 「今週だか、今月だかに入って初めての客だからね。奮発するよ」 「でも、よりにもよってピンボケしたのを選ばなくても」 ポストカードを抜き出しながら、遠慮がちに店員は笑う。藤好も笑った。鳥がうるさい。チルチルと。 「それが俺らしいんだ」 古びた売店は、窓に半透明のシールでも貼ったように結露を生じさせていたけれど、反面 息が苦しいくらいに暖かい。 まずいなと思った。 早く缶コーヒーを飲みきって、ここから出ていかないとまずい。 そう思いながらも藤好は、ポストカードを包もうとする店員の手を止めさせた。 「ペンある? 外にポストがあったでしょ。あそこで出していくよ。切手もあれば買うし」 「ええ、ペンも切手もありますけど」 店員は藤好のためにペンと切手を出してきた。ペンは店員の洋服の胸ポケットに刺さっていたもので、受け取るとぬくもりを感じた。益々まずいと思った。 「どなたに出すんですか?」 そんなピンボケしたポストカードを。 藤好は住所をスラスラ書きながら、自分の傍からちょっとの間も離れない店員を、今は抱きしめたくてたまらなかった。 「優しいんすね」 不意に出た言葉は、歩んできたでたらめな人生の中で藤好がただひたすらに、ずっと求め続けていたものに違いなかった。 「俺ね、家出したんすよ。家が嫌いで。と言うより、惚れた女がいてね、親からは大反対されて、まあ駆け落ちってやつかもしれないすね。女と一緒に逃げて、でも一年もたたない内に振られた」 ヘヘという笑い声は、住所を書く手を震わせるだけではなく、藤好の肩をも震わせた。 「無性に惚れっぽいんすよね。女に振られても、また別の女に惚れて。その繰り返しっすよ。家に舞いもどりゃいいのに、家に戻らず、フラフラふらふら。気付いたらこの年齢で」 本当にでたらめな人生だった。 惚れた女の傍にいたくて、仕事をいくつも変えて、住むところも変えて。 だから、その報せを受け取ったのは、つい昨日のことだった。 「変に思ったでしょ。こんな山の中に喪服でさ。そりゃ死にに来たと思っても不思議じゃないや」 店員が自分の傍から離れないのは、そのせいだと思った。 話しかけようにも変に刺激させちゃいけないと、言葉が少なくなるのも頷けた。 「でも、違うんすよ。ただ、家に戻ろうと思ったのに、あんまりにも久しぶりすぎて、バスを乗り間違えて。ほんと、ただそれだけなんすよ」 昨日、ようやく報せを受け取った。 父親の葬儀の日時はとっくに過ぎていた。 家に戻るのに喪服を着たのは、それでもやはり、家にいる時は藤好のことをそれなりにかわいがってくれた父親を弔う気持ちが強かったからだ。 『まったく、お前ってやつは』 それが父親の口癖だった。藤好が生まれてからの口癖に違いない。 藤好は涙でにじむポストカードに、ペンで大きくこう書いた。 ごめん、ありがとう―― 住所のところには、実家の住所を書いた。バスを乗り間違うくらいの長い年月戻っていない場所なのに、住所だけはスラスラ書けた。宛名はもちろん、父親の名前で。 親不孝ものでごめん。 今までありがとう。 「遺書じゃないっすよ、ほんと。と言うか、どこに出すか聞かれるより、遺書ですかってずばり聞かれた方が答えやすかった。その方が、道に迷ったとか、恥さらさなくてすんだし」 ピンボケしたポストカードを店員に見せて、藤好は笑った。店員も笑った。ようやく安心したのか、クッキーがあるんですけど食べませんかと、棚の後ろに探しに行った。 そのすきに、藤好は追伸と書いて付け加えた。 今度は惚れた女を紹介できるように頑張るよ。 |
| ひそやかな親切に、心打たれて。 追伸には、 相も変らぬ自分をありのままに。 見守られていると、信じているから。 続編ができました! (2007.12.16) |
| インデックス | 小説置き場 |