| |
|
開幕。スポットライト、点灯。
舞台中央で膝をついている背広姿の男。ネクタイ部分をギュッと掴み、沈痛な面持ち。 |
| 男 |
|
「――(絞り出すような声で)――妻の様子がおかしい」 |
|
|
立ち上がり、おもむろに周囲を見回す。シャンデリアに明かりがともる。(舞台の照明をオン)豪華なフロア、上段へと続くスロープがあり、2階の廊下が見える。 |
| 男 |
|
「いや。もともと何を考えているのか分からない、そういう女だ、僕の妻は……」 |
|
|
男、足早に歩き回る。 |
| 男 |
|
「たとえるなら、ミステリアス・クイーン? ――(首を横に振る)――いや、それじゃあたとえになっていないな。そうだ。奇人・変人・火事・親父…って、それは地震カミナリ火事親父だ…つまり、奇妙な…奇妙?
…奇妙…奇妙…――(歌い出す)――奇妙奇天烈、摩訶不思議、奇想天外、四捨五入…じゃなかった、えっ分からない?
冗談だろう! ……ドラえもんの歌にこういう歌詞が―――」 |
|
|
男、足を止める。舞台中央。我に返る。頭をかきむしる。 |
| 男 |
|
「そんなことはどうでもいいんだ。ほら、見ろ! あんなところに冷蔵庫がある!
――(舞台の上手を指差す) ――なぜあんなところに冷蔵庫が……ッ! 今朝、仕事に行く時まではなかったはずなのに……」 |
|
|
冷蔵庫にスポットライト。大型の両開きの冷蔵庫=(色は白が望ましい) |
| 男 |
|
「妻の仕業だ。あああ――(頭を押さえて叫ぶ)――今朝のことを怒っているんだ」 |
|
|
男、ソロリソロリと忍び足で冷蔵庫に近付く。ドアを両方とも開く。びっしりと隙間なく並んだガラス瓶。瓶の中に白いもの。自家製ヨーグルト。
ガガーン、効果音。 |
| 男 |
|
「やっぱり! やっぱりだ! ――(苦悶の表情で)――今朝、冷蔵庫の中に入っていた妻のヨーグルトを、勝手に食べたことを怒っているんだな! これは、ひとりで好きなだけ食べろという厭味なんだな!?」 |
|
|
男、舞台の下手まで走る。部屋のドア。何度も叩く。 |
| 男 |
|
「アイコ! アイコ! 僕が悪かったよ! もう決して君のヨーグルトを食べたりしないから許してくれ」 |
| 女 |
|
「――(声のみ)――あっちへ行って! 純ちゃんのバカ!」 |
| 男 |
|
「許してくれ、許してくれ、僕が悪かったから、頼む、出てきてくれ。おまえがいないと僕は駄目なんだ」 |
|
|
男、ドアに耳をつけて反応をうかがう。しかし反応はない。ドアも開かない。
再びドアを叩く。さっきよりも強く、切実な勢いで。 |
| 男 |
|
「アイコ。頼むよ〜。今日の晩メシはどうするんだよ〜〜。腹ペコなんだよ〜〜。冷蔵庫の中、ヨーグルトだけじゃないか。何を食えばいいんだよ〜〜」
|
| 女 |
|
「――(怒った口調で)――何よ、純ちゃんのバカ! 好きなだけヨーグルトを食べればいいじゃない!」
|
|
|
男、ガックリとドアの前で膝を折る。効果音、グゥゥゥ…。腹に手を当てる。決心したように、冷蔵庫まで歩いてくる。 |
| 男 |
|
「晩メシ……」 |
|
|
男、腰に両手を当てる。首を左右に振る。途方に暮れた様子。
そのとき(5秒後)―――
照明オフ。 |
| 怪 |
|
「――(声のみ)――ハハハハハハハ!」 |
|
|
スポットライト、冷蔵庫の前で佇む男にだけ。男、不審そうに周囲を見回す。
音楽スタート。曲名、オリーブの首飾り。
チャラリラリラ〜〜♪ |
| 男 |
|
「だっ誰だ!?」 |
|
|
男、今まさに飛んできたものを素早く受け取ったように、袖口からカードを取り出す。(絶対に失敗するな。マジシャンのように颯爽とやれ!) |
| 男 |
|
「かっ、怪盗キャッツアイキット3世!? ―――なっ何か色々と混じってないか?
しかしキャッツアイといえば、レオタードの美人3姉妹。……(照れくさそうに頭をかく)……それならちょっと見てみたいような気がするけど、いやでも、声がオッサン……イヤな予感が」 |
| 怪 |
|
「ハハハハハ! 怪盗キャッツアイキット3世、登場!」 |
|
|
音楽ストップ。
スポットライト、舞台スロープ。ポーズを決めたレオタードの中年男=(剥げ頭〔カツラ可〕に突き出た腹が望ましい) |
| 男 |
|
「うわあ! なんだ、あんた、人の家に勝手に入ってきて!」 |
| 怪 |
|
「フフフフフ。わたしの名前は――」 |
| 男 |
|
「さっき聞きましたよ、怪盗キャッツアイキット3世登場とか言ってたでしょ、しっかり聞いてますよ、それよりこっちが聞きたいのは――」 |
| 怪 |
|
「無礼者!」 |
|
|
レオタードの中年男、ドタドタとスロープを降りてくる。バランスを崩しながらも、クルクル回りながら、男のもとへ。 |
| 怪 |
|
「――(息をハァハァさせながら絶え絶えに)――誰が言ったか知らないが、怪盗キャッツアイキット3世、ここに参上!」 |
| 男 |
|
「――(中年男の肩に手を置いて)――なんと言うか、痛々しいですよ。そんな無理をしなくても……」 |
| 怪 |
|
「シャラーップ! ――(男の手を払う)」 |
|
|
手を払われた男、不満げに腕を組む。
レオタードの中年男、気を取り直して、ポーズを。 |
| 怪 |
|
「聞いて驚くな!」 |
| 男 |
|
「こっちはあなたがここにいる時点で驚いてますよ」 |
| 怪 |
|
「いちいち突っ込むな、うるさい男は女に嫌われるぞ!」 |
|
|
効果音、ガァァァン…
男、膝から崩れ落ちる。哀愁漂うメロディー。 |
| 男 |
|
「どッ、どうせ僕はッッ、妻にもウザがられてあっちに行けなんて言われたような男ですよ――(肩を震わせる)――ええそうですよ、妻に、妻に、嫌われて……うっうっうっ」 |
| 怪 |
|
「――(男の肩に手を置いて)――いたましいな」 |
|
|
哀愁メロディー、ストップ。
男、我に返ったように顔を上げる。 |
| 男 |
|
「あのね、あなたに同情されたくはないですよ! ――(立ち上がる)――いったいあなた何者で、うちの家に何をしに来たんですか――(詰め寄る)――怪盗ということは泥棒ですか、この時点で既に不法侵入ですからね、警察に通報しますよ!」 |
|
|
男にまくしたてられ、レオタードの中年男、後退る。 |
| 怪 |
|
「待て、話せば分かる!」 |
| 男 |
|
「……話せば!? 冗談言っちゃ困りますよ。忍び込んでおいて、話せば分かるなんて、そんな馬鹿な話があるわけないでしょ。どんな感動話をされたって、あなたと分かり合えるなんて、これっぽっちも思えないですよ!」 |
| 怪 |
|
「うぬぬぬぬぬ。強情なヤツめ、そこをどけ!」 |
| 男 |
|
「あっ、なにを!」 |
|
|
レオタードの中年男が冷蔵庫へと突進。その手前で、男が阻止。ジタバタと冷蔵庫の前で揉み合う二人。 |
| 怪 |
|
「離せ!」 |
| 男 |
|
「離したら、ウチの冷蔵庫に何をするつもりです」 |
| 怪 |
|
「離せば分かる!」 |
| 男 |
|
「……離せば!? そんなの分かりたくないですよ!」 |
|
|
なおも揉み合う二人。
男、思い切りレオタードの中年男を突き飛ばす。レオタードの中年男、悔しそうに立ち上がる。 |
| 怪 |
|
「これを見ろ! ――(自分の突き出た腹を指差す)――もう1週間もなんだぞ」 |
| 男 |
|
「はぁ? いきなり何を言ってるんですか、あなた」 |
| 怪 |
|
「――(聞き取れない声で)―― ××なんだ」 |
| 男 |
|
「は? 聞こえませんよ。もっとハッキリ言ってください」 |
| 怪 |
|
「だから――(聞き取れない声でゆっくり)―― ××だ」 |
| 男 |
|
「は?」 |
| 怪 |
|
「――(冷蔵庫へと突進)――便秘だって言ってるだろ、チクショウ、この野郎、フン詰まりとでも言えばいいのかよ、クソったれ、こっちが下手に出てりゃ調子にのりやがって、こうなったら力ずくで奪ってやる!」 |
| 男 |
|
「ちょっと――(男を阻止しながら)――あなたがいつ下手に出てましたよ?
出てるのは下っ腹だけでしょう!」 |
|
|
再び冷蔵庫の前で激しく揉み合う二人。 |
| 怪 |
|
「なんてヒドイことを言う男だ! いいじゃないか。ヨーグルトの1つや2つ。減るもんじゃなし」 |
| 男 |
|
「減りますよ! めちゃめちゃ減るものじゃないですか!」 |
| 怪 |
|
「どうせ女房に嫌われたんだろ。いいじゃないか、1つぐらい寄こせ」 |
| 男 |
|
「イヤだ、これは僕の妻が、アイコが、たとえ厭味のためでも丹精込めて作ってくれたヨーグルトだ、いわば愛の発酵品、それを、こんなワケの分からない格好をした中年男にやってなるものか!
僕はアイコを心の底から愛しているんだ!」 |
|
|
効果音。
男、渾身の力で、レオタードの中年男を突き飛ばす。 |
| 怪 |
|
「――(鼻をすすりながら)――チクショウ、その愛に、負けたぜ」 |
|
|
レオタードの中年男、舞台袖に引っ込む。
男、冷蔵庫を抱きしめようとする。 |
| 男 |
|
「ごめんよ、アイコ、僕が悪かった。そう、ヨーグルトは食べたら減る。そんな当たり前のことも分かってないで、キミの大切なヨーグルトを食べてしまった僕は、なんて馬鹿なんだろう」 |
|
|
照明、徐々に暗く。哀愁漂うメロディー、スタート。 |
| 女 |
|
「純ちゃん……」 |
|
|
スポットライト、舞台下手、ワンピースを着た女が立っている。胸に手を当て、ウルウルと、感激して涙ぐんだ様子。 |
| 男 |
|
「アイコ……」 |
| 女 |
|
「純ちゃん、わたしたちのヨーグルト、守ってくれたのね」 |
| 男 |
|
「わたしたちの? ああ――(何度も頷く)――ああ、そうさ、そうだとも! 僕たちの大切なヨーグルトだ」 |
|
|
二人、舞台中央で抱き合う。 |