★+-++-++ マッシロシロンにご用心 ++-++-+★
   
 
1.
 空に浮かぶ大きな綿菓子が、茜色に染まった頃だ。
 僕は、自転車で小路を疾走していた。
 その小路は、地元の人でもあまり知らないような、オフロードと言っても過言ではないくらいの山道で、道の片側は雑木林、もう片側がゆるやかな崖、そんなところを、僕は必死こいて自転車のペダルを踏んで進んでいた。
 サイクリングを楽しんでいるわけじゃない。この小路が、僕の家から学校までの最短距離で、早く戻れるからだ。
 宿題を忘れたんだ。
 明日には提出しなきゃいけない、英単語のノート。
 それを学校まで取りに戻る最中だった。


☆★☆


 自分で言うのも何だけど、僕はかなりの小心者だ。
 どのくらい小心者かと言えば、宿題をやらないで寝ることができない。明日やればいいや、なんてとても思えない。ましてや、明日学校で誰かにノートを写させてもらおう、なんて考えられない。そのくらい小心者。
 そんな僕だから……、学校に戻ることもかなり迷った。誰もいない教室に入るのって、すごくイヤだ。不気味に思える。
 今年の4月に中学に上がったばかりで、今は6月、まだ校舎に愛着がないせいかもしれない。
 でも、6年間通った小学校の校舎でさえ、たとえ愛着があっても、夜中に歩いてみたいなんて思えない。
 だから、小学校の卒業の記念にって、同級生の有志で真夜中の学校に忍び込もうという話が回ってきた時も……
 僕は迷わず断った。
 つまり、小心者の上に、臆病者のオマケまで付いちゃうわけだ。
「ふんふんふふ〜〜ん♪」
 わざと大きな声で鼻歌を歌いながら、僕は暗くなり始めた小路を急いだ。真っ暗になる前に学校に戻って、素早くノートを取って、脱出する。学校が、お化け屋敷に取って代わる前に。
 お化け屋敷……
 これは家族以外には絶対にナイショのことだけど、僕が幼稚園児だったころ、家族で遊園地に行ったんだ。父さんと母さんと姉ちゃんと。その記憶はおぼろにある。
 大きなテーマパークじゃなくて、地元の小さな遊園地。
 風船を持った大きなウサギのぬいぐるみ、キラキラ光るメリーゴーラウンドや、地上がおもちゃ箱に見える観覧車。
 楽しかった。
 メルヘン世界に魅了された。
 でも記憶がすっぽり抜けていることがある。
 それは今でも家族の共通の笑い話として、特に夕飯時なんかには頻繁に出てくるから、僕はそのたびにカァッと顔を赤くしなきゃいけない。もういいよ、って唇を尖らせなきゃいけない。
 でも、そんな僕の努力もむなしく、きっと、大人になってからも家族の中の誰かしらが引っ張り出してきて、僕以外のみんなが笑い転げること。
 僕は……、遊園地の隅に作られたお化け屋敷に入ったとき、あまりの恐怖に失神したそうだ。
 泣き喚くならまだしも、失神するなんて……。
 幼い僕には、たとえそれが頭の中の記憶の一部としてでも、そんな恐怖を持ち続けることに耐えられなかったのか、その恐怖を記憶ごと完全に消し去ってしまったようだ。
 同情するよ、幼い僕に……。
 だって記憶を消し去っちゃうほどの恐怖なんだよ?
 それなのに、父さんも母さんも姉ちゃんも笑うんだから。
 自転車をこぐ僕の行く手に、あの遊園地の観覧車が見えてきた。ここ数年で急速にビルが増えた町並みのずっと遠くの方に、ポコンと半円が突き出てる。
 僕はあれ以来、あの遊園地に行っていない。
 別にお化け屋敷が怖いからじゃない。
 もう、あの観覧車を見ても、ワクワクできないお年頃になったんだと思う。ウサギのぬいぐるみの中に大人が入っていること、メリーゴーラウンドは同じところをぐるぐる回るだけのもの、今の僕には当たり前。どこか夢から醒めてしまったように、色褪せて見える。
 そう言えば、観覧車もきらめきを失ったように黒っぽい。夕陽に照らされて黒ずんで見える。
 なんだか、空にかかった巨大な蜘蛛の巣みたい……
 なんて、よそ見をしていたせいだ。
 突然白っぽいものがフワリ現れて――
 キィッと甲高いブレーキ音を、何故か夢の中のことのように聞いた。
 
 
☆★☆


 目を開けたとき、僕は恐ろしく真っ当だったと思う。
 自転車で転んだことはすぐに分かった。手足を見て、怪我の有無を確認した。幸い、どこにも怪我はなかった。擦りむいてもいなかった。
 転んだとき、瞬間的に「痛い」と感じたけど、それは衝撃のせいだったみたい。なぁんだ、良かったと思った。
 それから、僕に声をかけてくる人がいることに気付いた。
 だけどその人は……
「だいじょうぶ? ケガはない?」
 そう言って心配そうな顔をしているのは、紛れもなく“僕”だった。
 少し垂れた目尻、情けない角度の眉毛、成長について行けていないあどけない顔、朝起きて鏡を見るたびにキリリとした表情を作ろうして、あえなく失敗する、ポヤンとした僕の顔があった。
「――僕?」
 と、僕が発した声は別の人のものに聞こえた。
 この声は……?
 僕の戸惑いに気付いていないのか、“僕”が再び口を動かした。
「そう、きみ。だいじょうぶ?」
「……と言うか、この声、蒔田だよね?」
「そうだけど? もうヲレのこと、忘れた?」
 そう言って笑ったのは、小学校の頃の同級生、蒔田要蔵(まきた・ようぞう)の口調で喋る、僕の顔をした“僕”だった。あれ? なにそれ??
「きみ、小日向だろ?」
「う、うん……」
 僕は小日向緋那央(こひなた・ひなお)という名前だ。そのはずだ。でも、目の前には小日向緋那央の顔をした“僕”がいるんだよ。
 なにそれ??
 混乱する僕に向かって、僕の顔で僕の声を使って、“僕”が言った。
「まいったな〜」
「え?」
「失敗しちゃったよ」
「え?」
 とても僕とは思えないほど大人っぽい表情をして、“僕”が僕の前で腕を組んだ。
「ごめん、順序立てて説明すると、ヲレがマッシロシロンっていう悪戯妖精を追いかけていたら、あいつ、きみの自転車の前に飛び出しちゃってさ。捕まえようとしたんだけど、その寸前で、ヲレときみの魂を入れ替えられちゃったみたい」
 アハハと“僕”が陽気に笑っている。
 僕はポカーンとしてしまった。話の意味が分からない。
「え? あの、えっと、蒔田だよね? 小学校で、6年生のとき、同じクラスだった?」
「そうだよ」
 蒔田は僕の顔をして、アッサリこう言った。
「実はヲレ、妖精使いなんだ」
「ヨウセイツカイ?」
 咄嗟に変換できなくて、僕は妙なイントネーションで聞き返した。
「そ。まだ一人前じゃないんだけど」
 僕の顔をした蒔田は、まるで、部活はサッカー部に入ったんだけど1年生だから球拾いばっかりでね、とでも言うような気軽さで言った。
「え?」
 僕はとりたてて勉強ができるわけじゃないけど、蒔田の言っていることがメチャクチャ現実離れしていることだけは分かっていた。
 おかしい。目を開けたとき、僕は真っ当だったはずなのに。
 だけど、目の前に“僕”がいる……
 う〜ん。
 と言ったかどうか。
 僕は背中をグイグイ引っ張る重力を感じていた。
「えっ、ちょっと、小日向!?」
 “僕”の慌てた声が聞こえる。
 その瞬間、僕はプツンと意識を切り離していた。
 これって絶対夢だよね――?
 
 
☆★☆


 パチッと再び目を開けたとき、僕の顔を覗き込んできた顔は、やっぱり“僕”だった。
「ああ……」
 神様のいじわる。
 人生2度目の失神は、決して笑い話にならないよ。
「小日向、だいじょうぶ?」
 僕の声で蒔田が聞いてくる。どのくらい失神していたのか分からないけど、辺りはもう真っ暗になっていた。
 真っ暗?
「しまった、宿題ッ!」
 こんな状態で宿題も何もあったものじゃないかもしれないけど、僕は当初の目的を思い出して叫んでいた。
「宿題?」
「そうだよ、英単語のノート、明日提出なんだよ。学校に忘れちゃって、取りに戻る途中だったんだ」
「それで?」
「こんなに暗くちゃあ、学校に戻れないじゃん」
「どうして?」
「お化けが出るに決まってる!」
「……」
 ポカーンとした顔の“僕”が首を傾げる。それから、アッハッハと大口を開けて笑い出した。蒔田らしい笑い方だった。
「小日向、きみ、けっこう面白いね」
「面白いとか関係ないよ。あ〜、もう、どうしよう」
 どうしてだか僕は、目の前にあるのが自分の顔のせいか、お化けが怖くて学校に戻れないなんて……、普段だったら絶対に口にしないようなことを、素直にペラペラと喋っていた。
「小日向、相変わらず真面目なんだね」
「だって宿題忘れたら、英単語100個も書かされるんだよ」
「アハハ、だいじょうぶだって」
「大丈夫なわけないじゃん。100個だよ、100個!」
 僕が数を強調して、それがいかに大変であるかということを主張していると、“僕”の顔をした蒔田はクスクス笑った。
「仮に明日、英単語を100個書かされることになっても、それをやるのはヲレだね」
「え?」
「まあ、小日向はヲレの学校に行くことになるね。でも、明日は、たぶん朝には熱が出てるだろうから、学校には行けないと思うよ」
「えッ?」
「魂と身体が入れ替わると、拒否反応が出るんだ。たぶん、昼には熱も下がるだろうから、そしたらヲレ、家をこっそり抜け出すよ。元に戻るには、マッシロシロンを捕まえないと」
「……」
 僕は絶句していた。
 だけど、聞いておかなきゃいけないことがあった。
「もしかしてさ……」
「ん?」
「僕に、蒔田のフリをしろってこと?」
 これから蒔田の家に行って、蒔田らしく陽気に笑えって?
 小心者の、この僕に?
「まあ、今夜は仕方ないね。今のきみは、ヲレの姿をしてるから。ヲレも、きみの姿をしてるだろ? それに、マッシロシロンを見つけようにも、あいつ、夜は陰に隠れて出てこないんだ。とりあえず今夜は、お互いの家にホームステイだね」
「む、無理だよ!」
「どうして?」
「だって僕、蒔田のこと何も知らないから、フリなんて出来ないよ」
「平気さ。具合が悪いから寝るなんて言って、ヲレの部屋にずっといればいいよ」
「だけど……」
 急に、何も知らされないで舞台のそでに立たされたような気がした。
 ものすごく心細かった。
 上手く出来っこないと思うし、何がなんだか分からなくてまだ混乱しているし、とにかく不安で怖かった。
「あ、そうだ。蒔田が家出したってことにしない?」
「ヲレが、家出?」
「そう。それで、うちに泊まる。うちの親には、適当なことを言って誤魔化す」
 そんな僕の提案に、蒔田は“僕”の顔を苦笑するように形作った。
「ヲレが家出したってことにしても、きみが家出したってことにしても、それはいいんだけど、たぶん39度近く熱が出るよ? どっちの家にいたとしても、その時点で戻されると思うけど?」
「あ、そっか…」
 しょぼんと項垂れた僕。
 そんな僕を、まったく“僕”らしくない笑顔を作って蒔田が言った。
「だいじょうぶ、何とかなるって!」
 それからポンと、まるで僕を舞台の中央に押し出すかのように、力いっぱい背中を叩いてきた。
 
  
 
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