4. 僕のガックリ落ち込んだ気分が空模様にまで影響してしまったのか、さっきまで晴れていたのに、急にポツポツ雨が落ちてきた。 「まいったな〜」 蒔田が空を見上げて難しい顔をした。 「これはしばらく止みそうにないね」 「……」 言われて僕も空を見上げた。木の枝の隙間から見える空は、僕の今の気持ちとソックリな灰色をしていた。 「ヲレ、家まで戻ってムラサキを呼んでくるよ。この辺りだけでも、ちょっとの間、雨を止めてもらう」 「そんなことできるの?」 「狭い範囲でちょっとの間ならね。と言うか、やろうと思えば広い範囲で長時間だって出来るんだろうけど、あんまりやりすぎると、ムラサキが竜族の長老に怒られるんだ」 「ふぅん」 「ヲレが戻ってくるまで、小日向は雨宿りしててよ」 蒔田は身を翻すようにして走り出した。 突っ立ったままその背中を見送っていた僕は、走っていく蒔田が小路の向こうに消えたのを合図に、視線を空へと向けた。 灰色の空に黒い雲、雨粒が木の葉に当たって、パツッと音を立てる。 雑木林の中は、小路よりも雨粒が落ちてこない。その代わり、枝や葉に当たって、木の色んなところを滑ってきた雨粒が、大きくなって落ちてくる。 ポタンと、大きな雨粒が、空を見上げていた僕の頬に着地した。 滑っていく雨粒は、我慢している涙の代わりだ。 「……」 あとどれだけ時間が残されているんだろう。 何時間? 何分? 何秒? 時計を持ってこなかったことを、今更ながらすごく後悔した。蒔田はちゃんと腕時計をはめていて、マッシロシロンを探しながら、チラチラ見ていた。 その仕種と表情から、あまり時間が残されていないんだって、僕にも分かった。 そんな状況で、呑気に雨宿りなんかしてる場合じゃない。 気付いたら、僕の足は濡れた地面を蹴っていた。雑木林の中を、マッシロシロンを探して走っていた。 雨のせいで、ぼうっと霧がかかったように視界が悪い。白い闇だ。なんか、ホラー映画のワンシーンみたいに不気味だった。 ピチョンと首筋に大きな雨粒が落ちてきて、僕はブルッと首を縮めた。 怖い… 怖いよ――… もし、白いものは白いものでも、マッシロシロンじゃなく、ものすごく顔色の悪い、それはもう紙のように白い顔をした人が出てきたら? もちろん、白い和服なんか着ていて、生気がなくて、何気にこっちに手招きなんかしてきたら? そのうえ更に―― 目が光ったら? 鋭い牙があったら? 角とか生えてたら? ギギギッって地の底から響いてくるような声だったら? 「……」 ゴクン、と喉が震えた。走っていた足が、ノロノロと止まる。 さっきより雨が激しくなったせいか、雑木林の中は急に暗くなった。風になぶられて、ザザッと木々が悲鳴を上げる。バタバタと雨が足音を立てる。 ドックンドックン言っているのは、臆病者の心音……僕の音。 大丈夫、大丈夫。ここはお化け屋敷じゃないんだから。 まったくもう、しっかりしろッ! 今は怖がってる場合じゃないんだから。マッシロシロンを見つけなきゃ、捕まえなきゃ。 と、そのとき―― 視界の隅を白いものが横切った。 「ぎッ…」 僕は咄嗟にギャーッと悲鳴を上げそうになったけど、寸前で飲み込んだ。その白いものがピョンと跳ねたからだ。 「マッシロシロン!」 ようやく見つけた。 ピョンピョンと跳ねていくマッシロシロンを追って、僕も走り出した。今度は転ばないように、慎重な足運びで走った。 マッシロシロンはオリンピックで金メダルが取れそうなぐらいの跳躍力で、雨の雑木林を飛び跳ねていく。僕がどんなに一生懸命走っても、距離が縮められない。蒔田と2人で追いかけても捕まえられなかったんだ、僕ひとりじゃ難しい。 でも、いいんだ。 捕まえられなくても、絶対に離されないで付いていく。 見失わないようにするんだ。 そうしたら、蒔田が戻ってきたとき、大声でマッシロシロンの位置を教える。そこで、今度こそ捕まえるんだ。 「――わッ」 前方を跳ねていたマッシロシロンが、急に右方向に大きくジャンプした。そのまま真っ直ぐ進まないで、木の間をジグザグに進み始める。 僕も負けずに方向転換しようとしたとき、足がズルリと濡れた地面で滑った。その拍子に、傍にあった細木に肩をぶつけた。ザァーッと、木の葉が抱えていた雨粒が、一気に落ちてくる。 諦めちゃ駄目だ。 マッシロシロンを探しているとき、蒔田に何度も言われた。まだ時間がある、まだ大丈夫、諦めないで探そう、きっと見つかるよ、きっと元に戻れるよ。 僕がしゃがみ込みそうになったとき、何度も何度も励ましてもらった。 本当は…… 心の奥底の部分では、ちょっと考えないこともなかったんだ。 このまま元に戻れなくて、蒔田のままだったら、どうなるんだろう? どんな生活を送ることになるんだろう? ついこの間まで、6年の同じ教室にいた蒔田のことを思い出していた。 蒔田は頭が良かったから、テストではいつも1番だった。運動神経もよかったから、運動会ではみんなの注目を集めてた。それに誰とでも気軽に喋るから、女の子にも人気があった。 それに比べて僕は…… 小心者で臆病で、宿題は忘れずにやるけど頭が良いってわけでもないし、運動神経は切れてるんじゃないかってぐらい鈍いし、ポヤンとしてるせいか、女の子には掃除当番とかいつも押し付けられて、小日向くんありがとう優しいね、って心のこもってない言葉に、苦笑いしながらため息をつく、そんなポジション。 そりゃあ、蒔田が羨ましいよ。 蒔田になれたらいいのにって思わないこともないよ。 でも…… 「――ハァハァハァ」 雨の雑木林で、僕とマッシロシロンの追いかけっこが続く。息が苦しくなってきた。心臓がバクバク鳴っている。 ピョンピョンと、僕の前をマッシロシロンが跳ねていく。さっきとまったく変わらないペースで、疲れなんてものはどこにも存在しないみたいに。 少しずつ……、少しずつ……、僕とマッシロシロンの距離がひらいていく。 足が重い。腕も重い。 喉がヒュウヒュウ鳴り始めた。 でも、僕は足を止めなかった。走り続ける。 諦めない、諦めない、諦めない、絶対に諦めない。 「――諦めるもんかッ!」 僕は小学校の卒業文集に、将来は絵本作家になりたいって書いた。それは嘘じゃない。僕の机の中には、創作物語を書き溜めたノートが入っている。毎日ちょっとずつ書き進めていくのがとても楽しい。 でも、心のどこかで思うんだ。 絵本作家になんかなれっこないよ。 だって、天才的に絵が上手いわけでもない。落書き帳に空想を書いているだけ。そう思うと、ふっと、早朝に目が覚めてしまった時みたいに、やるせない気持ちになる。 あ〜あ、どうしてこんな中途半端な時間に起きちゃったんだろ。もうちょっと寝ようかな、もう起きちゃおうかな、そんな迷いで布団の中を転がる。 夢を見続けるのって、本当はしんどいんだって思う。だから実際に、ふっと早朝に目が覚めちゃうこともあるんだ。 そのしんどい思いがいやで、僕は無意識のうちに、自分にブレーキをかけている。 どうせなれっこないんだから……、だって絵が上手いわけでもないのに絵本作家になりたいなんて、きっとみんなに笑われるよ。 もうさっさと布団の中から出ちゃえ……、だって寝坊したら、みんなに遅刻したことを笑われるよ。 笑われるよ、笑われるよ、あの遊園地のお化け屋敷で失神したことを笑われるように、きっと笑われるよ。 諦めちゃ駄目だって、蒔田に何度も励まされて、ようやく分かったことがあるんだ。 無意識にブレーキをかけるのは、すぐに諦めてしまうのは、みんなに笑われるからじゃない。 笑われてもいいんだって、誰か教えてくれた? 諦めちゃ駄目だって、誰か励ましてくれた? 「――ハァハァッ」 マッシロシロンが跳ねていく。僕も足をひきずるように走る。 蒔田はずっと、諦めちゃ駄目だって言い続けた。それは僕に言うのと同時に、蒔田自身にも言い聞かせていたんだ。 励ましは、自分への声援にもなる。 そういうことだったんだ。 笑われてもいいんだ。お化け屋敷で失神したこと、それが家族の潤滑油になっているんだから。笑われてもいいんだ。絵本作家になりたいこと、それが僕自身の自己主張でもあるんだから。 だから諦めないで、走り続ける。 自分を励ましながら。 「――ッ」 雑木林の中をピョンピョンと跳ねていたマッシロシロンが、何を思ったのか、小路の方へと進み始めた。小路の向こうは崖だ。 「待て、待った!」 崖までは追いかけていけない。昔ここをソリのようなもので滑って遊んでいた子供が、ソリが横転して怪我をしてから立ち入り禁止になっている。ゆるやかではあるけど、安全なわけじゃない。 僕は何とかマッシロシロンに追いつこうと、重くてたまらない足で地面を蹴った。 木の生えている間隔が広くなっていく。小路が近い。僕は必死で走る。フェンスが見えてきた。崖の手前にある腰の高さの青色フェンスだ。 マッシロシロンが小路の手前で振り向いた。僕はスピードを上げる。マッシロシロンがピョンと跳ねた。僕の視界がパッと広がった。小路に出たんだ。 と、そのとき…… 「おーい、小日向、どこにいるんだ?」 「――蒔田ッ!」 突然視界に入ってきた人影。マッシロシロンが避けきれず飛びついていく。僕の足も急には止まらない。 「うわっ」 「わあっ」 2つの声が、小路に響いた。
「アハハ、それにしてもラッキーだったよね」 頭からバスタオルをかぶった蒔田が、笑いながら振り向いた。切れ長で大人びた瞳を、弓形に細めて。 窓の外は相変わらずの雨。パツンパツンと窓をノックしている。 僕は今、蒔田の家のダイニングで、ホットココアをご馳走になっている。白い大きなマグカップに、溢れそうなほど注がれたココア。湯気がフワリとカップの上を舞っている。 コトンという音で、僕の前に小さな皿が置かれた。苺のケーキが乗っている。その次に蒔田の前にも。 「さんきゅ、ムラサキ」 「ありがとう」 蒔田と僕がお礼を言うと、運んできたムラサキさんはニタリと笑った。いや、ニタリと見えるけど、ニコリ……たぶん……。 白いフワフワの生クリームを着たケーキ。苺が恥ずかしがっているように真っ赤だ。その色合いが、僕にマッシロシロンを思い出させた。 「でも、マッシロシロンを捕まえられなかったのに、どうして元に戻れたんだろ?」 そう…… 結局マッシロシロンには逃げられたんだ。ちょうどやって来た蒔田の肩を踏み台にして、くるくるっと空中で回転しながら、崖へと逃げていった。 追いかけてきた僕は、蒔田と正面衝突。 でも、気付いたら元に戻っていた。 「ほえはほひはたふぁ」 フォークをくわえたまま、蒔田が呪文みたいなことを言っている。何を言っているんだかサッパリで、僕は思わず吹き出して笑ってしまった。 蒔田も笑いながら、今度はフォークを口から出して言い直した。 「それは小日向が諦めなかったからだよ」 「?」 「マッシロシロンのやつ、魂を戻さない限り、きみに一生追いかけられるんじゃないかって、そう思ったんじゃない?」 「そうなのかなぁ?」 「分かんないけど、ラッキーなことは確かだよね」 蒔田は笑いながらケーキを食べ始める。僕は周囲をキョロキョロ見回した。エプロンをつけたムラサキさんがテーブルの横に立って、僕と目が合うとニタリと笑ってきた。また間違えた。ニコリ、だ。 「あの、さ…」 「ん?」 「蒔田の、その、家族というか、両親は……」 気になっていたんだ。昨日、僕が蒔田の部屋に閉じこもっている間、蒔田の父親らしき人も母親らしき人も、帰ってこなかった。 「ああ、母さんはこの世にいないよ。ヲレが2歳のとき、死んだらしい」 「そ、うなんだ…」 やっぱり聞くべきじゃなかった。 しょぼんとした僕に向かって、だけど、蒔田はとびきりの笑顔を見せた。 「親父はね、伝説の妖精“ティンカー・ベル”を追って世界中を飛び回ってる」 「え? ティンカー・ベルって…」 「そ。ピーター・パンって妖精使いだったんだよ。ヲレの親父が言ってた。あ、親父もね、妖精使いなんだ」 「じゃあ、蒔田もいつか世界中を飛び回る妖精使いになるんだ?」 「ん、なりたいから頑張ってるよ」 当たり前のことのように言って、蒔田は笑った。その笑顔は、本当に輝いているように眩しかった。 そのとき、ダイニングに女の子が入ってきた。昨日も見た、お人形みたいな女の子だった。 「紅絽子(くろこ)」 蒔田がその女の子を呼んだ。「ケーキ食べる? おまえの好きな苺のやつ」 「……」 女の子はかすかに頷いて、蒔田の隣の席についた。それを待ちかねていたように、ムラサキさんがココアとケーキを置く。 「……」 “ありがとう”と言う感じで女の子がムラサキさんに視線を送り、ムラサキさんはニタリと笑った。 何だか無言劇を見ているようだった。 だけど、これがいつものことなのか、蒔田は自分のケーキをつついているし、女の子も無言のままケーキを食べ始めた。 ふと、思い出したように、女の子がテーブルの上に1枚の紙を置いた。 それを蒔田の方に押し遣っている。 「ん? なに?」 その紙を見た蒔田は、一瞬後に大笑いを始めた。 「おまえ、ヲレがマッシロシロンを捕まえられないって分かってたのか?」 「……」 「まいったな〜、もう」 蒔田は笑いながら、僕にもその紙を見せてくれた。見せてくれたのはいいけど、僕には何が書いてあるのかサッパリ分からなかった。記号と図形の羅列……。 僕が分かっていないことに気付いたのか、蒔田が説明らしきことを口にした。 「紅絽子は魔女を目指しててさ」 「魔女?」 「そう、今でも簡単な魔法とか使うんだよ。それで、ヲレときみの魂を元に戻すための儀式をしてくれたみたい」 と、蒔田が、無言のままケーキを口に運んでいる女の子を見た。 「ヲレときみが元に戻れたのは、紅絽子のおかげだった、ということになるね」 「……入れ替わったことに、気付いてたの?」 「そう言えば、そういうことになるよね。小日向、きみ、昨日は部屋から出てないんだよね? そうだよね? それでよく気付いたな」 蒔田は不思議そうな顔をしている。 でも、僕には、その理由に心当たりがあった。きっと、あのせいだ。そうに違いないんだ。僕の顔はポッポッと燃えてきた。 きっと…… 僕が鏡の前で色んなポーズを取っていたからだ。 それで、いつもと違うって気付いたんだ。 それはギャーッと叫びたくなるほど恥ずかしいことだったけど、ここで叫べば、ポーズをとっていたことを教えることにもつながりそう……。 蒔田はまだ不思議そうな顔をしている。 「魔女って、そんな力もあるのかな?」 「きっ――きっとそうなんだろうねっ!」 僕の必要以上に力の入った言葉に、蒔田は一瞬怪訝そうな顔をしたけど、すぐに「まぁいっか」と笑う。 「そうだよ、まぁいいよね、元に戻れたんだもんね」 「ん、そうだね」 と、蒔田はケーキを食べることに戻っていった。 何とか誤魔化せたかと思った瞬間、蒔田がふと思いついたように顔を上げた。 「小日向は?」 「えッ?」 僕はムンクの叫びのような表情をするところだった。 でも、蒔田は満面の笑みで聞いてきた。 「何かなりたいものとかないの?」 「…あ、えっと」 「なになに? 教えてよ」 「うん、えっとね――…」 いつか、蒔田と過ごした日々を、絵本にできたら。 きっと素敵な物語になると思うんだ。 |
| いつまでもいつまでも 子供の頃のワクワクを 心のどこかに残しておきたいものです。 |
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