★+-++-++ ムラサキと紫色のんじゃにか ++-++-+★
   
 
1.
 夏休みが来た!
 青い空! 眩しい太陽! バニラアイスのように白い雲!
 すべてに『ありがとう』と言って歩きたくなるぐらいの、楽しい楽しい夏休み。
 
「えっ、小日向のところって自由課題なし?」
 スプーンをまるでマイク代わりにこっちに向けて、蒔田が身を乗り出すようにして聞き返してきた。
 ミドリ町のレンガの家、おとぎ話に出てくるみたいな洋風の家のダイニングで、僕と蒔田は3時のおやつにアイスを食べているところだった。夏休みに入ってから、僕は毎日のように蒔田の家に遊びに来ていた。
「そう、自由課題はないんだけど、読書感想文と読書感想絵があるんだよ」
「読書感想絵?」
 僕の話を聞いて、蒔田がほんの少し小首を傾げた。僕はコクンと首を前に倒す。
「何でもね、1番印象に残った場面を絵に描くんだって。それもね、読書感想文の本と同じだと駄目って言われて、教室中ものすごいブーイングだったんだよ。夏休み中に2冊の本を読むことになるからって」
「へぇ〜、2冊か〜、それはウチの学校でもブーイングだろうな」
 あ、言い忘れていたけど、蒔田は私立のS中学に通っていて、僕は公立のM中学に通っている。小学校までは同じ学校で、たぶんどこも似たような宿題だったのだろうけど、中学になると色々変わってくるみたいだ。
「でもS中学って言ったら名門でしょ? ブーイングなんてするの?」
 僕の問いに蒔田は屈託なく笑った。
「そりゃあするさ〜。普段から本を読んでるやつだって、強制されるのがイヤで、わざとブーイングに加わるもの。ヲレだってするよ、きっと」
「え、でも蒔田、小学校のとき、読書感想文でも写生大会でも賞状もらってなかった?」
「それとこれとは別だよ〜。賞状が欲しくて頑張ってる間はいいけど、今はもう興味が別のところにあるから、強制されるのはやっぱりイヤだね」
「ふぅん、そんなもの?」
「ん、そんなもの」
 唇の前でスプーンを回していた蒔田は、それを今度はほんのりピンク色のアイスクリームに突っ込んだ。
 冷たくて美味しい苺ミルクアイス。
 作ったのはムラサキさん。今もニタリと笑って、僕たちの会話を聞いているんだか、いないんだか、葡萄色のシャツを着て、不思議と妙に似合うエプロン姿で『用事はない?』と言いたげに立っている。ぱっと見はビジュアル系のバンドマンみたいだけど、実は竜族の一員で、紫のヘビにも変身するんだよ……。
 そうそう、この苺ミルクアイスはね、普通のバニラアイスを作るときに、砂糖を減らして、その代わり苺ジャムを入れるんだって。もちろん、苺ジャムもムラサキさんの手作り。ムラサキさんは料理が大好きなんだって。
 せっせとアイスを口に運んでいた蒔田が、不意に吹き出した。
「でも小日向、きみ、みんなと違ってずいぶん楽しそうだね」
「え?」
「顔、ニヤけてるよ」
 スプーンで山盛りのアイスをすくってそれを口に頬張ると、蒔田はニイッと満面の笑みを浮かべた。
「読む本、もう2冊とも決めてるんだろ? 将来は絵本作家だもんな〜。感想文も感想絵も、どっちも役に立ちそうじゃん」
「うん、そうなんだ」
 本は、読書感想文か読書感想絵、どちらかを課題図書にして、どちらかを自由に選んで良いってことになっていて、僕は読書感想絵の方を自由に選ぶことにした。
 でも、もうほとんど決めてる。
 “ちいさなちいさな王様”という本にするつもり。
 最初に見かけたのは、もうずいぶん前だった。シンとした本屋の下の棚に、出しっぱなしで置かれていた。ポン、と。無造作に。誰かが片付けるのを忘れちゃったのか、この本が冒険に出て本棚に戻れなくなっちゃったのか。
 僕は近付いていってジッと眺めた。
 表紙が印象的だった。
 小さな王様がじっとテーブルの上らしきところに立ってるんだ。王様の足元には新聞紙が、その背後にはコーヒーカップがあって、王様は球根みたいに丸々した太っちょさん。それに、ちょっとイバッた感じで立ってる。
 何だか不思議と手を伸ばしたくなる本だった。
 僕の手がその本に伸ばされ、その本に触れる直前だった。
 横から白い小さな手が伸びてきた。
『ママー、ご本買ってー』
 僕より小さな女の子が、両腕で抱きしめるようにしてその本を持って行ってしまった。
 雑誌のコーナーにいたお母さんらしき人が、優しそうな笑みを見せて、その本を眺め回している。でもその笑顔は、この本はあなたにはまだちょっと早すぎるなんて思っている表情だった。
 絵本にしなさい、とその唇が動く。でも女の子は譲らなかった。この本がいいんだもん。何度も何度もそう言い張って、半分ベソをかいて、お母さんを困らせていた。
 もうちょっと大きくなったら買いましょう。そうだわ、来年のお誕生日に。ね。お母さんの提案を、女の子はヤダと突っぱねた。
 店内に女の子の泣き声が響き、とうとうお母さんが折れた。肩をヒックヒックと揺らしている女の子の手を握り、レジでお金を払って、母と娘は手をつないだまま本屋から出ていった。
 一部始終を眺めていた僕は、ちょっぴり残念に思った。出逢ったばかりで、どうしても欲しい本というわけじゃなかったけど、どんな物語なのか読んでみたかった。
 でもまあ、泣いてねだられるぐらい気に入ってもらえたんだから、あの本にとっては良いことだよね、なんて、ちょっと大人風ふかして、その本のことはすっかり忘れていたんだよ。
 それから半年。
 どんな運命の巡り合せなのか、その小さな王様が僕の前に現れた。もちろん、本が、という意味だよ。
 しかも意外なことに、その本の持ち主は僕の姉ちゃんだった! ……のかと思った。
 その日たまたま蒔田の家に英語の辞書を忘れてきた僕は、宿題をやるのにどうしても必要になって、姉ちゃんに借りることにした。だけど姉ちゃんは部屋にいなくて、たぶんリビングにいるんだろうけど、そこまで行くのが妙に億劫に思えた。
 貸してと言えば、あんたってどうしてそうもドン臭いの、とか、あんたってば生まれつきの間抜けね、とか、色々言われるし……。
 ちょっと借りるだけだし、そうだよそうだよすぐに返すんだし、大丈夫バレっこないよ、と頭の中に言い訳を並べて、姉ちゃんの部屋にナイショで忍び込むことにしたんだ。
 そこで本棚から辞書を抜いたとき、隣に入ってた本が落ちてきた。それが、あの“ちいさなちいさな王様”という、あの時の本だったから驚いた。
「姉ちゃん、この本どうしたの?」
「何がどうしたのってぇ〜?」
 リビングのソファーの前で、だらしなくグッタリした姿勢のまま、姉ちゃんがドローンとした目で僕を見上げてきた。
「珍しいね、姉ちゃんが本読むなんて。真夏に雪が降るかも」
 本を見せると、僕の皮肉にはまったく気付いた様子もなく、姉ちゃんは「ああ」と思い出したように言った。
「それねぇ〜、5組の本田くんに借りたんだ。まだ読んでないけど」
「へえ、いつ借りたの?」
 僕のごくありふれた質問に、姉ちゃんは首を傾げたまま、石になってしまったように動かなくなった。
「あれ……えっと……あれ……いつだっけ……」
「姉ちゃん、その年齢でボケが?」
 日付の曖昧さをつつくと、眉をつり上げて姉ちゃんが反撃してきた。
「うるさいわね、わたしはあんたと違って色々と忙しいのよ!」
 僕の姉ちゃんは僕と違って運動神経が良くて、運動部をいくつも掛け持ちしてて、本を読む時間があるのなら走ったり飛んだり跳ねたりしてる方が楽しい人。とにかく動いてるのが大好きな人。だから今も、家の中にいるものだから退屈で死にそうって顔をしてる。
「本田さん、かわいそ…」
「だいたいあんた、その本どこで見つけてきたのよ!?」
「えっ……」
「わたしの部屋に勝手に入ったわね!」
 言うが早いか、姉ちゃんは僕の首根っこを掴み、腕を掴み、なんて言う名前の技か知らないけど、関節がギシギシ鳴っちゃうようなプロレス技をかけてきた。
「わ〜、ごめんなさい〜」
「二度と勝手に入らない?」
「入りません入りません、ごめんなさい、ごめんなさい〜」
 半泣きになってそう繰り返すと、姉ちゃんは力を抜いて僕を解放してくれた。
「いいわ、じゃああんた、黙って部屋に入った罰として、それ読んでわたしに感想を聞かせなさいよ」
「え?」
「とりあえず、返す時に本田くんに感想言わなきゃいけないじゃないの」
「えっ、それって……」
「なに? 文句あるの?」
 もう1回プロレス技を味わいたいの、という顔で睨まれて、僕はブルブル首を振って、本を抱きしめた。
 僕の姉ちゃんは、本を読む時間があるのなら、走ったり飛んだり跳ねたり……弟にプロレス技をかけたりする方が楽しい人、みたい。
 5組の本田さんってば、どうしてこんな姉ちゃんに本なんて貸したんだろう。まあ、でも、そのおかげで僕は“ちいさなちいさな王様”をもう一度手にすることができたわけなんだけど……。
 ちなみに、それが、昨日のこと。
 
 
 
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