2. そのことを話すと、蒔田は大きな口を開けて、さも愉快げに笑い出した。 「小日向の姉さんって、面白いね〜」 「ちっとも面白くないよ。今朝だって、部活の朝練から帰ってきたと思ったら、思い出したように技をかけるんだよ。おかげでまだ首が痛いんだから」 僕が顔をしかめて首を左右に動かしていると、スウッとムラサキさんが近寄ってきた。何だろうと思った瞬間、ピトリと冷たい指が首筋に当たる。 「なに? なに?」 「………」 ムラサキさんは無言のまま、僕の首筋に指を当て、僕の顔を覗き込んできた。至近距離で見るムラサキさんの瞳は、瞳孔の周りの虹光が金色にピカピカ光って見えた。 それを見ると、やっぱりヘビって感じがして、僕の顔は思わず引きつってしまった。 そのムラサキさんの行動には、蒔田ですら理由が見当たらなかったようだ。 「何やってるのムラサキ?」 「………」 「か、回復魔法とか?」 「ん〜? 竜族は魔法なんて使わないよ。回復させるような能力は、持ってないはずなんだけどなぁ」 蒔田の怪訝そうな声に、ようやくムラサキさんが僕の首筋から指を離した。その指を、蒔田の方へと突き出す。 「ああっ!」 途端に蒔田が大きな声を出して、ガターンと椅子が後ろに倒れるぐらい勢いよく立ち上がった。 「なに? なに? 何なの?」 「紫色のんじゃにか!」 戸惑う僕の顔に向けて、蒔田が指を突き出して叫んだ。 「へ?」 なに、それ? 紫色のんじゃにか……? 「うっわぁ〜、さすがムラサキ、よく見つけられたな〜」 スゴイ、スゴイ、スゴイ、と興奮した様子で繰り返す蒔田と、人差し指を突き出して、ニタリと笑う満足げなムラサキさん。その指先は、うっすら赤紫色に染まっている。 完全に、僕はかやの外に追いやられていた。 「あの、蒔田、お願いだから説明してよ」 ようやく僕の存在を思い出したのか、まだ興奮した口調ながらも、蒔田が説明らしきことを口にした。 「紫色のんじゃにか、だよ。ほんと貴重で、絶滅寸前で、めったに会えない妖精の、その鱗ぷんが、小日向の首に付いてたんだ!」 一体どこでつけてきたの―――? そう聞かれて、僕は90度にも近いほど首を傾げることになった。 「どこでって……」 「思い出して! 絶対に思い出して!」 蒔田が興奮して言う。 対する僕はモゴモゴだ。 「そんなこと言われたって……別にどこにも行ってないけど……」 「頼むよ、小日向。何としても思い出して。紫色のんじゃにかには、この時期にしか会えないんだよ。この時期を逃したら、また来年になって、ヲレだってもう5年も会ってないんだ。ムラサキなんて、もう20年は食べてない。…だろ?」 「えッ―――!」 食べてない、という蒔田の言葉に、僕は目をパチクリさせてしまった。視線が自然とムラサキさんへと向かう。 当のムラサキさんは「だろ?」と聞かれて、いつものニタリ笑いを浮かべたまま、コクンと首を縦に動かした。 その瞬間、僕は思わず叫んでしまっていた。 「食べるって、ムラサキさんって妖精を食べるの〜〜〜ッ?」 僕の頭は、どんどん想像力を働かせ始める。 どんどん勝手な想像が膨らんでいく。 トカゲのようなものの尻尾を口から出したムラサキさん、その口から垂れた尻尾がピルピルと左右に揺れて……、しかもムラサキさんはニタリと笑ったままで、それはいつもの笑みなのに何故か邪悪に見えてくるような……。 クラッと目眩がしそうなほどのグロテスクな想像図――― トカゲの踊り食い……? 「おぇええッ…」 自分の想像に自分で気持ち悪くなった。 どうして僕が気持ち悪くなったのか、当然だけど僕以外に分かるはずもなく、ムラサキさんが大きな手で背中をさすってくれる。あ、ありがたいんだけど、今はちょっと遠慮したいような……。 僕の想像を察したのか、蒔田が笑いながら説明してくれた。 「ムラサキは竜族だからね、山のものだったら妖精でもキノコでも何でも食べるけど、紫色のんじゃにかは、竜族の誰もが大好物にしてるんだよな?」 ムラサキさんはコクンと頷く。 あれ? 至近距離にいたせいか、僕はムラサキさんの瞳に何か、寂しげなものを見つけた。 何故だろうとジイッと見詰めると、ムラサキさんは僕の背中をさすり続けながら、ニタリと笑う。でもやっぱり瞳には寂しげな光があった。 蒔田は説明を続ける。 「もともとは紫色のんじゃにかって、“のんじゃにか”って種類の妖精でね、のんじゃにか自体が雑草みたいにドコにでもいる妖精だったんだよ。他にも赤色のんじゃにか、青色のんじゃにか、色んな種類があったんだけど、紫色のんじゃにかを残してみんな消えていっちゃった。しかも、竜族があんまりにも紫色のんじゃにかを食べ過ぎちゃって、紫色のんじゃにかさえ、今や絶滅寸前の妖精になっちゃったんだよ」 「そう…なんだ……」 チラリとムラサキさんを横目で見ると、やっぱり寂しそうにしている。それは紫色のんじゃにかが食べられなくなって残念というより、何か別のもののように感じた。 「それで――」 僕は思い切って聞いてみた。 「僕がその鱗ぷんをつけた場所を言ったら、紫色のんじゃにかを食べちゃうの?」 「………?」 ムラサキさんは僕を見下ろして、キョトンとした。 蒔田がおなかを抱えて笑い出す。 「違う、違う。ムラサキはそんなことしないって」 「だけど好物なんでしょ?」 「ムラサキの今の好物は、苺と生クリームだよ。…な?」 蒔田に問われて、ムラサキさんはニタリ笑いで何度も頷いている。 「え? じゃあ、もう妖精は食べないの?」 「たぶんね。竜族ってさ、環境によって食べ物の好みが変わってくるらしいんだよ。古い文献で竜に捧げる品物がアレコレ違うのも、そういうことなのかもね」 「…ふぅん」 それって我慢してるわけじゃなくて? その質問は、ムラサキさんのどこか寂しげな瞳を見ていると、とてもじゃないけど口には出来なかった。
その日、蒔田の家を後にすると、僕は“ちいさなちいさな王様”を読み始めた。自分の部屋で、お行儀が悪いけどベッドにゴロンと横になって。 ちいさなちいさな王様の物語に「お邪魔します」と入り込む。 ほんの気まぐれに、“僕”の家にやってくるようになった小さな王様、十二月王二世。 人差し指くらいの大きさ、それもひどく太っていて、深紅のビロードのマントを着て、やんちゃで尊大。 自分の背丈の半分ほどもある好物のグミベアー(くまの形をしたグミ)を抱きかかえ、ムシャムシャやりながら、“僕”とおしゃべりをしては本棚の隙間にある王様の部屋に帰っていく。 王様たちの国ではこの世界とは逆に、生まれた時に大きく、歳をとるにつれてどんどん若返って小さくなっていくんだって。どんどん小さく。どんどん小さく。 そして王様は、やがて……。 「―――!」 王様の物語から戻ってきた僕は、わけも分からず慌てていた。どうしよう。どうしよう。何故か分からないのに、胸が締め付けられるように痛かった。 紫色のんじゃにか。 僕には、王様と紫色のんじゃにかが同じに思えた。絶滅寸前の紫色のんじゃにか。いつかは消えてしまうかもしれない。 何故とかどうしてとか、聞いたところでどうにもならない事実があって、どんなにウンショウンショと押したって、ビクともしない現実がある。 紫色のんじゃにか。 いつかは消えてしまうかもしれない妖精。 「―――僕も会いたい!」 消えてしまう前に。どうしても。 鱗ぷんが付いた場所さえ思い出せれば……。蒔田の家でも、さんざん思い出してって頼まれたんだけど、どうしても思い出せなかった。 僕はベッドを転がりながら、何とか思い出そうと必死で記憶をたどった。
翌朝、まだ朝靄の残る道を、僕は自転車に乗って蒔田の家まで疾走していた。とうとう思い出せた。恐らく、紫色のんじゃにかのいる場所が。 「ぬぁあに? こひなた…?」 寝ぼけ眼をこすりながら、水玉模様のパジャマを着た蒔田が、のっそりと玄関ドアを開けた。その途端に僕は言った。 「分かったよ、鱗ぷんが付いたと思われる場所!」 「ふぁ?」 蒔田はまだ寝ぼけているのか、反応が鈍い。腕時計を見ると、まだ朝の5時だった。 「ふぁ〜? にんぷ? だれが?」 「妊婦じゃない。鱗ぷん!」 「りんぷん?」 「そう、鱗ぷん! 紫色のんじゃにかの!」 その名前を出した途端に、蒔田の瞳から眠気がサァッと飛び立っていくのが分かった。キラキラと瞳が輝いてくる。 「ムラサキ!」 玄関からムラサキさんを呼んで、キョトンとした顔のムラサキさんがやって来ると、蒔田はムラサキさんの手を握った。 「行くよ、紫色のんじゃにかに会いに。小日向が思い出してくれたみたいなんだ」 その瞬間、ムラサキさんは、まるで旧友に会えると知らされたみたいに瞳を輝かせた。あいた片手で僕の手を握ってきて、ニタリと、本当に嬉しそうに笑った。
3人――― と言っていいのかどうかよく分からないんだけど、僕と蒔田とムラサキさんは、手をつないだまま中学校の裏手に来ていた。 「こんなところに?」 蒔田が意外という声を出す。 「たぶん、と言うか、こことしか考えられないんだよ」 僕は首筋についた鱗ぷんが、ここから姉ちゃんの手を介して、僕についたと推理した。 だって、僕は蒔田の家にしか行ってないし、姉ちゃんは朝練から帰ってきたとき、僕にプロレス技をかけてきた。そうなんだよ。そのことを思い出したんだ。 きっとあのとき僕の首筋に、紫色のんじゃにかの鱗ぷんが付いたんだ。 「へえ、なるほどね〜」 さすが小日向、なんて蒔田が感心したように何度も頷くから、僕はちょっと照れくさくなった。 「それより、これからどうやって紫色のんじゃにかを探すの?」 僕が質問をすると、蒔田はニッと満面の笑みを浮かべた。 「探す必要なんてないよ」 「え? じゃあ、どうやって見つけるの?」 「呼ぶんだよ」 「え?」 「―――じゃにか、じゃにか、じゃにか、じゃにか!」 蒔田は急に大きな声で、そんな言葉を連呼し始めた。 すると、しばらくして小さな小さな音が応える。 「のんのんのんのん」 「じゃにか、じゃにか」 「のんのん」 小さな小さな音が、呼びかけに応える。のんのんのんのん。何の音だか分からないけど、その小さな音は確実に僕たちのところへと近付いてきているようだった。 「やった! 5年ぶりに会えた!」 蒔田の興奮した声。 とうとう紫色のんじゃにかが、僕たちの前に姿を現した。 「あれが……」 僕は紫色のんじゃにかを見詰めた。ほんの5メートル先にいる。 蝶のような形の大きな羽が紫色に輝き、くちばしは鳥のようで、胴体はヘチマのような形をしていた。 もっと近くで見てみたいと思って、僕が一歩足を進めると、グイとつないだ手を引っ張られ、後ろに戻された。 ムラサキさんだ……。 ムラサキさんは、ただニタリと笑って、首を左右に振っている。そっとしておいてあげて。怖がらせないで。 何だかそんなことを言われているように感じた。 「うん、そうだね」 僕が頷くと、ムラサキさんも頷いた。蒔田は5年ぶりの紫色のんじゃにかの姿を目に焼き付けようとしているかのように、ジッと食い入るように見詰めていた。水玉のパジャマ姿で……。 僕たちは手をつないだまま、紫色のんじゃにかが僕たちの目の届かないところへ行ってしまうまで、その場でずっと見守っていた。 紫色のんじゃにかが見えなくなった瞬間、僕はムラサキさんの横顔を盗み見た。 「………」 ムラサキさんは、ただ静かにニタリと笑って、でもとても嬉しそうに、また会えるといいねと言っているように、金色に光る瞳を瞬かせていた。 紫色のんじゃにか――― いつかは消えてしまうのかもしれない。 自然の摂理って難しい言葉には、どんな生き物だって太刀打ちできないのかもしれない。 それどころか、蒔田やムラサキさんに出会わなければ、紫色のんじゃにかの存在すら知らなかった僕がいた。 だからこそ、会いたかった。消えてしまう前に、どうしても。 紫色のんじゃにか。 キミのこと、忘れないよって言うために。 |
| この物語は宝物です。 まったくの偶然によって生まれた物語なのです。 「monochrome garden」の錦さんへ捧ぐ。 |
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