2. 蒔田の家を出るとき。 床に書かれている魔方陣をまたいで通りながら、明日はこれを消せる薬品かなんかを持ってこなきゃなぁ…なんて思いながら靴をはいた。 蒔田はダイニングのテーブルに突っ伏したような状態で、僕が帰ると言い出しても、じゃあね、と片手を上げるだけで精一杯なようだった。 本当にマイってるみたいだった。 ここまで落ち込んでる蒔田なんて、ちょっと信じられない。ある意味で、紫色のんじゃにかと同じくらい珍しいかも。 それだけムラサキさんの存在が大きいんだろうなぁ。 蒔田のお父さんは妖精使いで、ティンカー・ベルを探して世界中を飛び回っているそうだから、ムラサキさんがお父さん代わりなんだろう。お母さんは蒔田が小さい時に亡くなったそうだし。 それを思うと、僕にも何か手伝えることはないかなと、僕が蒔田に協力姿勢を示すことだって順当だよね。 でも蒔田は…… 僕のその言葉を聞いて、まるでチーズが熱で溶けていくように、だらりとテーブルに突っ伏してしまった。 『ヲレ、今、自分がすっごく情けなくって、もうだめ〜』 蒔田の気持ち、僕にだってよく分かるよ。 誰かに手を貸してもらうのって、とても嬉しい反面、とてつもなく情けなくなるんだ。自分ひとりで解決できないことにヘコむんだ。 分かるから…… 分かるからこそ…… 僕はそこで口をつぐんで、素直に退散することにしたんだ。でも忘れずに、明日また来るよって、言い残した。 それは、僕が手伝うことで蒔田のプライドがちょっぴり傷付くかもしれないけれど、明日までには覚悟を決めておいてね、という予告。 きっと蒔田には、伝わってる。 明日はきっと、今日よりはマシな顔付きで迎えてくれると思う。 たぶん。 恐らく。 ……伝わってるよね? 思わず玄関からダイニングの方を振り返ってしまったけれど、ここからは何も見えなかった。 僕はそれだけで不安になった。小心者の血が騒いだ。それは心が躍るのと同じステップを踏みながら、でも音楽がまるで違う。ホラー映画のオープニングみたいに、心臓が破裂しそうなほどのビクビク・ダンスだ。 せっかく履いた靴を脱いでダイニングまで走っていきたくなった。伝わっているかどうか蒔田に確認したい気持ちになった。 だけど、そこはグッと我慢して玄関のドアを開けた。 サアッと風が吹いていた。 冬の冷たくて乾いた風だった。 首を縮め、冷たい風を頬に浴びながら蒔田の家の門から足早に出た時のこと。 「………?」 花壇でよく見るような木製の柵、それが蒔田の家の庭を囲んでいるんだけれど、そこから中を覗き込むようにしている人影が見えた。 人影は僕に気付いたのか、マフラーに顔の下半分を深く埋め、クルリと身体の向きを変えて行ってしまった。背格好で、女の人だと推測した。 どろぼう? 「……まさかね」 女の人だったもの。 でも…… キャッツ・アイだって峰不二子だって神風怪盗ジャンヌだって、女の子だ。 「うーん…」 僕は女の人の立っていたところに行ってみた。 蒔田の家の庭、ムラサキさんが潅木を色んな形に剪定するものだから、物珍しくて覗き込む人が多いって聞いたことがある。 僕は女の人と同じように、蒔田の家の庭を覗き込んでみた。 さすがに冬のせいか、花をつけているものは少ない。橙色のジョウロや白いフープ状の柵が、妙に寒々しく見える。まるで遊園地の閉園時間みたいに……。 考えすぎだよね? あの女の人も、遊園地の閉園時間を惜しむように、ただ何となく覗き込んでみただけなんだろうね。 柵から身体を離そうとした僕の目に、ようやく噂のものが飛び込んできた。 公園なんかでよく見かける、丸々ふっくらした緑のかたまり。タマイブキ、だとかいう名前だと教えてもらったことがある。 ふっくらした緑のかたまりから、ニュウッと1つの頭と4本の足が出ていた。 まるで今にも動き出しそうな緑のゾウガメを横目で見ながら、僕は帰路についた。
翌日。朝の9時すぎ。 蒔田は昨日にも増して、ものすごい格好で僕を迎えてくれた。 「待ってたよ〜小日向〜」 いったいぜんたいどうやったらそんな風になるのってくらい、四方八方に飛び跳ねた髪。寝グセだとしたら、どんな寝相してるの。 もう今日は開き直っちゃっているとしか思えないパジャマ姿で、ズルズルと毛布を引きずりながら現れた。 ポカーンとしている僕の手を引っ張って、蒔田がニイッと満面の笑みを見せる。昨日よりも断然、蒔田らしい笑みだ。 その笑みを見て、僕は思わず聞いていた。 「ムラサキさんは? 帰ってきたの?」 「…………まだ」 一瞬にしてドヨーンとしたものを花柄の毛布ににじませて、蒔田が僕の手を引っ張っていく。どうやら今日はダイニングじゃなく、2階へ行くらしい。 もしや、ダイニングがとてつもなく大変なことになっているんじゃあ……なんて僕の心配をよそに、意外にも弾んだ声で蒔田が言う。 「ヲレ、小日向が来るの、今か今かと待ち構えていたんだよね」 「え? なんで?」 「べにほほあかっき、―――こいつのことすっかり忘れてた」 「?」 なにそれ? 蒔田が言うんだから、たぶん、妖精のことだよね? 「蒔田、その、べにほほあたっきー」 「あかっき、だよ」 「ごめん、そのべにほほあかっきとかいうやつが、ムラサキさんの好物だとか?」 「んー、どうだろ、食べるのかなー、見たことないけど」 「え? じゃあどういうことなの?」 僕の質問に、蒔田は身体全体を揺らすように笑っている。毛布をかぶっているせいで、まるで大きな花の山が揺れているみたいだ。 部屋のドアの前で、蒔田が僕の方を振り向いた。 「あっ、小日向、鳥類にアレルギーとかある?」 「ううん、ないけど…」 首を振る僕の前で、蒔田が部屋のドアを開けた。 「じゃあーん!」 部屋の奥には、僕が以前来た時にはなかった鳥かごがあって、その中で真っ白い鳥が羽をばたつかせた。 「わあ、かわいいねー」 僕はすぐに鳥かごに向かったのだけれど、後ろから蒔田の不満げな声が聞こえた。 「違う違う、じゃあーんって、こっちのことだったのに」 その声に振り向いた僕は驚いて、本当に心底驚いて、口を大きく開けたまま静止してしまった。 いつの間に毛布を脱ぎ捨てたのか、蒔田の背後で、真っ赤なものが揺れている。 それはまるで、少女漫画に出てくる主人公の登場シーンのように華やかで、キラキラしていて、花じゃなくって羽が舞っていた。 そう…… 蒔田の背中から翼が生えていたんだ。それも真っ赤な! 「ど、どうしたの……それ………?」 驚いている僕を見て満足したのか、脱ぎ捨てた毛布をベッドへと放り投げながら、蒔田が羽を揺らしながらこっちに来た。 「べにほほあかっき、だよ」 鳥かごを覗く。 真っ白い羽のオウムくらいの大きさの鳥。よく見ると、ホッペのところだけ赤く丸く染まっていて、頭のてっぺんから背中にかけてモヒカンみたいに毛が逆立っていた。 「この鳥のこと? この鳥も妖精?」 僕の声に蒔田が大きく頷いた。 「そ。べにほほあかっきの卵を食べると、しばらくの間だけ背中から翼が生えるんだ」 「すごい!」 僕は興奮して、蒔田の背中から生えている翼を触ってみた。フワフワふかふかしている、本物の羽だった。 「すごいや、すごいよ!」 蒔田が動くたびに、背中の羽がモサモサと揺れる。大きな枝葉が風でなびくような動きも見せるし、蒔田の動きに合わせて時折バサリと動くこともある。 ほとんど無意識にすごいすごいばかり言っている僕に、蒔田がニイッと笑みを見せた。 「はい、これ」 「え?」 手を差し出されて、キョトンとしてしまった。 蒔田の手には、ニワトリの卵よりは小さく、ウズラの卵よりは大きな、ほんのりピンク色の卵が乗っていた。 「べにほほあかっきの卵、小日向のぶん」 「えっ!? ―――僕の?」 驚いている僕に、蒔田は大きく頷いてみせた。それとほとんど同時に、羽までバサリと動く。 「協力してくれるんだろ? 一緒に空からムラサキを探そうよ」 その申し出に、僕の半分は喜んでと言い、もう半分は縮み上がった。 空から? ということは、高いところだよね? 僕、高いところはちょっと苦手………。 「ううー…ん」 「ほらほら、小日向、早く早く!」 赤い羽をバサバサさせながら、蒔田がその場で足踏みをしてみせる。トンと片足をつくたびに、ふわりふわりと浮かび上がるんだ。 怖いけど。 怖いけれど……。 ―――――赤い羽の魅力の方が勝った。 「これ、このまま食べるの?」 「ん。口の中で殻は噛んで破ってね。美味しいよ」 僕はピンクの卵を掴むと、えいやっとばかりに口に放り込んだ。カリッとした食感の後で、じわりとミルクセーキのような味が口の中に広がった。 「あっまーい!」 「な、美味しいだろ?」 うん、と頷こうとした僕は、いきなり襲ってきた衝撃に立っていられなくなった。しゃがみ込んだ次の瞬間には浮き上がる。床の上で勝手に僕の身体が跳ねている。まるでピンポン球みたいに。 ポンッバボンッ―――― 「ぷっははは!」 蒔田が身体を折り曲げるようにして笑う。 僕の背中からは真っ赤な羽に包まれた翼が生えた。そして、どうしてなのか、髪の毛が四方八方に飛び跳ねてしまったんだ。 僕の髪は蒔田よりも長めだから、その飛び跳ね具合ったらものすごいものだった。蒔田の部屋の鏡に映った僕は、ロックスターに憧れている少年ロッカーみたいだった。 「な、なんで」 呆然としている僕に、蒔田があっけらかんと言う。 「ごめん。言ってなかったけど、翼と一緒にべにほほあかっきのトサカも生えるんだ」 「あのモヒカンのことッ?」 僕は鳥かごの中で羽繕いをしているべにほほあかっきを見た。その頭から背中にかけて逆立っている立派なモヒカンを。 「うん。ただ、ヲレたちには髪の毛があるから、ボンッてトサカみたいに跳ねまくるみたい」 「じゃあ、蒔田のその髪って、寝グセじゃなかったんだね」 「えー。小日向って案外ひどいなー。ヲレ、そこまで寝相悪くないよ」 「ごめんね、だって、昨日があんまりにもすごい状態だったから」 「まぁいいさ」 蒔田はニンマリと笑って、僕の手首をむんずと掴んだ。そのまま、部屋の窓を開けて、窓の桟に足をかける。 「わっわわっもう行くの、待って待ってまだ心の準備がッ」 「そんなの必要ないって」 窓の外からサアッと風が吹き込んでくる。 その風に乗って、どこか遠くではしゃぎ回る誰かの甲高い声。 「でも人目がッ」 「へーき、へーき」 蒔田は強引に窓の桟を蹴って飛び出し、手首を掴まれている僕もそのすぐ後に窓の外に飛び出した。 頬を冷たい風が撫でていく。 身体の横を、今まで感じたこともない種類の空気が流れていく。 バサッ… バサリバサバサッ…… 僕と蒔田の赤い羽は、何の意識もしていないのに動いている。僕たちは両翼を広げて、青い空を飛んでいる。 まだ太陽が昇りきっていない、朝の澄んだ空の中を。 「すっ――――すごい!」 隣町の資料館で見た、ジオラマ模型そっくりの街が僕たちの下にあった。 まるで消しゴムを並べたようなビル、ブロッコリーみたいな学校裏の森、小さなヘンテコな生き物のような電車、そこから吐き出されるもっともっと小さな人たち。 誰も僕たちに気付いていないみたいだった。こっちを見上げてこない。 「魔女のペンダントをしているせいだよ」 僕の疑問にいち早く気付いて、蒔田が言った。胸元から、変わった形のペンダントを引っ張り出して見せてくれた。星がたくさん重なっているような形。 「何でも、魔女がホウキに乗って空を飛ぶ時のためのものらしい。このペンダントをしていると、誰にも姿を見られないんだってさ。紅絽子に借りたんだ」 「へえー」 「でも、ひとつしかないから、ずっと手をつないでおかなきゃならないんだ。ちょっと飛びにくいかもしれないね」 「うんでも、空の上でひとりにされるよりはいいよ」 僕の正直な言葉に、蒔田はあっはっはと大きな声で笑った。 「それじゃあ、ムラサキ捜索隊、手を取り合ってしゅっぱーつ!」 |
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