4. 「よーし、みんな、ごはんにするよ」 空き地に響く伸びやかな声。 猫たちが一斉にその声に向かって歩いていく。中には走っていくのもいる。 「まったくもう、ブチさん、おまえは食い意地ばかり張って。おっ、三毛さん、ここのところ見なかったけど帰ってきたの。あっ、こら、待ちな、順番だって。おお、トラさん、おまえさん元気になったのか、よかったねえ」 女の人が、猫たちにエサをあげている。 最後にトラさんと呼んだトラ模様の猫を抱きかかえると、女の人は愛しそうに猫の背中に顔を埋めた。 その仕種に、記憶が刺激された。 見覚えがあった。 「あの時の―――」 「小日向っ?」 僕は思わず前に進み出て、その結果、蒔田とつないでいた手を離してしまった。 「――――?」 僕の声に気付いた女の人が、猫の背中から顔を上げた。 こっちに視線を向けてくる。 それから…… 「なんだい、きみ。火の鳥―――ってか?」 見た目とはものすごくギャップのある口調で、女の人が僕に問いかけてきた。 見た目は世界文学全集とか似合いそうな、長いサラサラの髪に知的な瞳が印象的、言ってみれば繊細そうなのに、口調にはかなり荒々しい印象がある。 「え、えと、あの、僕…」 「なに、聞こえない。そうなの? 違うの? ハッキリ言ったらどうよ」 「ちっ違います」 僕は宿題を忘れて先生に怒られた時のように、思わずシャンと背筋を伸ばして“きをつけ”の姿勢をとった。 蒔田の手を離してしまった僕は、魔女のペンダント効果がなくなった。だから女の人に姿をみられている。僕の姿。僕の背中には、まだ赤い翼が生えているのに。 ねえ、背中から翼の生えてる人に、そんな強気に出られるもの? それって普通? 驚きもしないで? 僕の困惑を感じ取ったわけじゃないだろうけど、女の人は目をゴシゴシとこすった。それから眉と眉の間にしわを寄せながら言った。 「その声からすると、大人じゃないね。もしかして怖がらせた? 悪いわね、先週アクシデントで眼鏡をオシャカにしてさ、ぼんやりとしか見えなくって。それ、なんの格好?」 「なにって……ええと………」 僕はしどろもどろになった。 隣の蒔田に助けを求めて視線を送ると、蒔田はちょっと考えるような仕種の後で、首からペンダントを外した。それを、ポケットの中から取り出した緑色の袋の中に入れると、袋ごとポケットに。 たぶん、これで、蒔田の姿も見えるようになったんだと思う。 「こんにちは、ヲレ、蒔田要蔵といいます」 「蒔田?」 女の人は、急に現れた蒔田を、目を細めて見詰めた。 驚いたというよりは、何か含みのある視線だった。 「ヲレのこと、知ってるんですか?」 「まぁね、きみのことは知らないけど、家は知ってる」 女の人が認めたことで、僕は話に割って入った。 「あの、僕、見ました。昨日、蒔田の家の庭を覗き込んでいたでしょ?」 そう。 昨日のあの人だ。僕に気付くと、マフラーに顔の下半分を埋めて、クルリと向きを変えて行っちゃった人。 「ああ、あの時の」 女の人の記憶にも僕がちゃんと残っていたようで、トラさんという名前の猫を抱いたまま、こっちの方に歩いてくる。 「ちょうど良かった。きみのお兄さんのことで、ちょっと」 僕と蒔田は顔を見合わせた。 お兄さんって、きっとムラサキさんのことに違いない。 「ムラサ……ヲレの兄が、なにか?」 「ちょっと、ね」
見た目はとても繊細そうで、口調はとても荒々しい女の人は、アライと名乗った。僕は思わず荒井という漢字を当ててしまったのだけれど、どうやらよく言われるのか、新しい方の新井だから、と女の人に付け加えられてしまった。 フルネームは新井小鳥(あらい・ことり)というちょっと変わった名前。名字はともかく。 小鳥さんは名乗った後で、僕たちにちょっと付き合ってと言った。付き合ってと言っておきながら、猫たちのごはんが終わるまで20分近く待たされた。 猫たちのごはんも終わり、小鳥さんが僕たちを案内してきたのは、空き地のすぐ裏手―――緑豊かな場所だった。 そこにはとても古くて蔦の生い茂るアパートのような構造の建物が、ひっそり建っていた。 アパートのように見えたけれど、あまり人の気配がなかった。 あまりというのは控え目な表現で、はっきりズバリ言ってしまえば、生きた物の気配が感じ取れなかった。もっと言っちゃえば、幽霊が出そうだった。 僕は入口でヒクリと顔を引きつらせて固まってしまった。 「ちょっと汚いけど、まあ、上がってよ」 そう言いながら、小鳥さんはドアを開けた。ギィィィィッと音をさせて。その音に、僕の顔は引きつった上に青くなった。 「お邪魔しまーす」 蒔田はまるで親戚の家にでも遊びに来たような気軽さで、ドアの向こうに飛び込む。 一瞬にして、蒔田は暗いドアの向こう側へと呑み込まれていった。本当に呑み込まれたとしか思えないほど、2.3歩しか行っていないはずなのに、背中が闇にスポッと包まれたように見えなくなった。 僕は……… ゴクン、と喉の奥から不穏な音がした。 ドキドキドキドキと、心臓が徒競走を始める。 僕はドアの前で立ち尽くしたまま、例の心臓が破裂しそうなほどのビクビク・ダンスにうろたえていた。 だから……… 「小日向?」 ヒョコッと、蒔田が闇の中から顔を覗かせた。 それだけで――――僕は1歩半、後ろに反り返ることになってしまった。 「なにビビッてんの。取って食いやしないよ!」 グズグズしている僕に痺れを切らしたのか、小鳥さんが手を引っ張ってきた。言葉は乱暴だったけど、小鳥さんの手はものすごく温かかった。 その温かい手に引かれて到着したのは、建物の1番南側、蒔田の家のダイニングと同じくらいの広さの部屋だった。 でも雰囲気はまるで違う。 蒔田の家のダイニングが明るくてメルヘンな雰囲気なのに対して、ここは明るさは充分なんだけど、何か別の雰囲気があった。 どう言えばいいんだろう。 ………一言で、可愛らしくない。 正面の出窓には、あまり一般家庭では見かけないような大きなダルマが置いてあって、その隣には変なポーズをした超合金ロボット。……まるでダルマと超合金ロボットが戦っているみたい。 ふと横に目を向けたら、ガラスケースに入った古い博多人形。思わずヒィッと声をあげそうになったけれど、よく見たらケースの上に木彫りのクマが置いてある。……南北のお土産の斬新な組み合わせ。 そして部屋の天井からは、大きな提灯がぶら下がっていた。 なんて言うか、変わった部屋だと、思った。 まるでおばあちゃんの家に来たような心地。 「―――あっ!」 僕の隣にいた蒔田が、何かを見つけて窓の近くに走り寄った。そこには段ボール箱が置いてあって、走っていった蒔田はその中を熱心に覗き込んでいる。 僕も遅れて後を追い、覗き込んだ。 「………ムラサキさん」 段ボール箱の中には毛布が敷き詰めてあって、その上で、ヘビ姿のムラサキさんが丸くなっていた。 丸くなったまま、まるで動かない。 ドクンと心臓が強く打った。 「やっぱり、きみのところの兄さんか」 シュボッという音をさせて煙草に火をつけながら、小鳥さんが言った。あまり驚いているような口調じゃなかった。 紫色のヘビを見て、平然と、しかもそれを“やっぱり”なんて。 「ムラサキ、どう、して…」 蒔田の声に応えるように、小鳥さんが煙草を口に挟んだまま話し始めた。 「さっき、トラさんって猫がいたろ。わたしが抱いてたトラ猫。あの子が空き地で割れたガラスを踏んでね、足に怪我をしたんだよ。ったく、最近の阿呆は何でもかんでもポイポイ捨てやがる。失礼、教育上よくない言葉遣いだった」 左手を顔の前で真っ直ぐに立てて詫びると、小鳥さんは続けた。 「ともかく、放ってはおけないから家に連れていこうと思ったんだけど、抱こうとすると痛がってねえ。ちょうどそのとき、きみの兄さんが通りかかった。わたしがね、ちょっと見といてくれって頼んだのさ。段ボール箱を取ってくるまで。きみの兄さんは無言で頷いて、ちゃんと見といてくれてね。それから、トラさんを入れた段ボール箱をここまで運んできてくれた。―――ら、いきなり後ろ向きに倒れて、その状態」 「いきなり?」 蒔田の真剣な眼差しを受けて、小鳥さんは首を縦に振った。 「うん、そうよ。たまたま後ろにいたわたしにぶつかってきて、眼鏡がオシャカよ。まぁそれはいいんだけど、そのままシュルルルーッて具合にヘビ状になったものだから、困ってね。きみの家の前は何度か通ったことがあるから住所は分かるけど、きみの家の兄さんがヘビ状になってわたしの家でとぐろを巻いているよと言っていいものかどうか、悩んでね。誰か大人でもいたらそいつにコッソリ言うかと、何度か家を覗き込んでも、タイミングが悪いんだか見かけないし」 「ヲレに言ってくれたら―――」 「馬鹿お言いよ」 蒔田の言葉を、小鳥さんは鼻息も荒く退けた。 「きみがこの状態の兄さんを知っているかどうかも分からないのに、わたしに言えるわけがないよ。きみには必死で隠していたんだとしたら、この人に悪いじゃないのさ」 「じゃあどうして今日はヲレを連れてきてくれたんですか」 蒔田の疑問に、小鳥さんは言った。 「その羽の生えた子と友達なら、ヘビ状の兄さんも平気かと思ってね。どうやら知っていたようだし、ホッとしたよ」 小鳥さんの声には、本当にホッとしているような響きがあった。 その間、僕は段ボール箱の中にいるムラサキさんから目が離せなかった。グルリと曲線を描く胴体に、顔の先を挟みこむようにして丸くなっている。 話し声が聞こえないのか、ちっとも動こうとしない。 手を伸ばして触れてみようと思うのに、それを阻む何か別の気持ちがあった。いけないと誰かに言われたわけじゃないのに。 ムラサキさんは、眠っているだけだよね? そうだよね? どうしても、それを声に出して聞くことができなかった。 僕のそんな様子に気付いたのか、蒔田が僕の肩をポンと叩いてくる。 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。竜族は人間よりよっぽど丈夫なんだから」 「……そうだよね」 「でも、どうして急に倒れたりしたんだろ」 蒔田がムラサキさんのニョロリとした身体を撫でた。少し弛んだ頬に、状態が悪くないことが見て取れた。その表情に、僕も少しだけ身体の緊張が抜けた。蒔田は部屋の中をグルリと見回していたのだけど、ハッとしたように視線を止めた。 部屋の隅に置いてある、腰の高さのキャビネット。その上に、ポツンとあるもの。 蒔田はゆっくりとそれに近付いていった。 「小鳥さん、このオレンジのカタマリは?」 蒔田が指差したのは、平皿の上にこんもりとした形を残しているオレンジ色の蝋だった。 「ああ、それ? アロマキャンドル」 灰皿に煙草を押し付けながら、小鳥さんが答える。 その言葉に、蒔田が反応した。 「それだ!」 僕と小鳥さんは、窓へと駆けていく蒔田をポカンと見送った。窓の前で思い出したように、蒔田が振り向く。 「小鳥さん、窓を開けてもいいですか?」 「ああ、うん、わたしがやろう。立て付けが悪いから、きみだと無理」 ガタガタと音を立てて、小鳥さんが窓を横に滑らせようとする。けれど、窓はイヤイヤをするように、揺れはしてもなかなか動かない。 小鳥さんの肩が盛り上がり、長い髪が左右に揺れる。 「この、この、この、この、このぉぉぉぉぉっ!」 ドンッ―――という音がした。新幹線もビックリするような速度で窓のレールを滑った窓硝子は、そのまま行き止まりで衝突し、勢い余って外側に外れてしまった。 小鳥さんの気迫勝ち……? 「いやんなるよ、まったく。窓を開けようとすれば毎回こうだから、簡単に換気もできやしないったら」 窓硝子を拾うために上半身を窓の外に出して、小鳥さんがぼやいている。 幸いここは1階で窓の外には草が生えていたこともあって、窓硝子は割れなくてすんだみたいだった。 そのまま窓硝子は窓枠に戻さないで、部屋の外の壁に寄りかからせたようだった。 「さて、と。これでいい?」 振り向いた小鳥さんの髪を、風が巻き上げていく。部屋の中に、緑の香りのする空気が流れ込んできた。 「ありがとう」 蒔田は小鳥さんにお礼を言って、段ボール箱を覗き込んだ。そっと手を伸ばして、紫色のヘビ姿のムラサキさんを箱から出す。 丸くなっていたムラサキさんが、ダランと伸びたような状態になった。 そして蒔田は―――― 「な、なにしてるのっ!?」 ビックリしている僕の前で……… 蒔田は自分の前後を確認すると、真剣な表情で腕をいっぱいに伸ばしてグルグル回し始めた。そのたびに、ブゥンブゥンとムラサキさんの身体が回転する。 蒔田は、ムラサキさんの尻尾の方を掴んで、ムラサキさんを振り回し始めたんだ! 「いーち、にーい、さーん、しーい、ごー」 5回振り回した後で、蒔田は腕を止めると、今度はとてもとても丁寧な手つきでムラサキさんを段ボール箱に戻した。 僕も小鳥さんも、覗き込む。 僕は無意識に息を止めていた。固唾を呑むという言葉を、身を以って知った瞬間だった。そしてもうそろそろ僕の息も限界だという頃――― 色のなかったムラサキさんの瞳に、金色のいつもの光が戻ってきた。 「やった!」 僕と蒔田はパチンとお互いの手を叩き合わせた。隣で、小鳥さんがホッと息をつくのが分かった。 「だけどどうして…」 「んーとね、強い香りは竜族を眠らせてしまうんだ。祭事のとき、お香とか香りの強い木を焚くのも、精霊やそういう存在に祭りがすむまで眠ってもらうためだって聞いたことがあるよ。だからたぶん、アロマキャンドルの香りに反応して眠っちゃったんだね」 蒔田の説明に、小鳥さんは何度も頷いた。それから段ボール箱を覗き込み、心配そうに眉を寄せる。 「なかなか人の姿に戻らないけど?」 「ん。まだ完全には目が覚めてないんだと思うよ。人間で言うところの、低血圧で寝起きが悪いのと同じ」 「へえ。覚えておくわ」 小鳥さんは腰を伸ばして、お茶でもご馳走したげるよと言いながら部屋の奥の方に向かった。ポットとカップを持って戻ってくる。 小鳥さんって、変な人。 翼の生えた僕を見ても、ヘビ姿になったムラサキさんを見ても、あまり動じないんだもん。 「ああ、だって不思議なことがひとつやふたつ身近にあっても、べつに構わないじゃないのよ。この世界は色んな種類の不思議にあふれているんだから」 僕の疑問に、小鳥さんは笑いながら答えてくれた。 そうか。 そうだよね。 僕たちは、僕の赤い翼が消えてしまうまで、小鳥さんの家で楽しく過ごした。 それからこれは余談だけど。 紅絽子ちゃんが魔方陣で片付けた服や教科書のこと。 あれは片付けたんじゃなくって、この世界から消しちゃったらしく、新学期に蒔田が慌てていたのは、ここだけの話だよ。 |
| それにしても、べにほほあかっきの卵。 食べてみたい!(笑) でもその時は、誰かと時間をズラして食べないと。 (2005.04.09) |
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