★+-++-++ さよならナキキイロカガチ ++-++-+★
   
 
1.
 もっさり。
 いや、ふぁっさりかもしれない。
 ミドリ町の真ん中を東西に流れている川の、その川に添った道を歩きながら、僕は前を歩いている犬の尻尾が、もっさりなのかふぁっさりなのか、どちらのような気がするかをずっと考えていた。くるんと、モカクリームのロールケーキのように丸まったその尻尾は、4つの足が前後するたびにヒョコヒョコと動く。
 うーん、やっぱり、もっさりかな。
 僕の前には犬を連れた女の人が歩いていて、エスという名前らしい柴犬に時々話しかけていた。エスは飼い主の声が聞えるたびに、もっさりした尻尾を嬉しそうに振る。飼い主はエスの尻尾と似たような襟巻きをしていた。
 冬のある日のこと。
 吐く息も、口のすぐ先で凍りそうなほど白い。
 僕は親戚が旅行に行っている間預かっていたハムスターを、親戚の家まで返しに行くところだった。
 ハムスターの名前はピピとポポ。どっちもメスで、どちらかがどちらかのお母さんらしいのだけど、見た目ではよく分からなかった。
 それを言ったらうちの母さんは「そうよ、人間もハムスターみたいに見た目で年齢が分からなければいいのに」なんてブツブツ言っていた。この間、美容院で年齢を間違われたことをまだ根に持っているみたい。
 たった2つ年上に間違われただけで、2週間も根に持っているんだよ。うちの母さんも、ずいぶんしつこいと言うか……物持ちがいいよね。
 そんなことはともかく、僕の家ではペットを飼ったことがないんだ。
 それは父さんが、「もしペットが死んじゃったら父さんショックで会社休んじゃう」とか何とか言って、飼うことに反対するから。
 本当にショックで仕事を休んじゃうのかどうかは分からないけど、僕の家では最終決定は父さんがすることになっているから、父さんを説得できないものに関しては諦めるしかなかった。
 僕は小学校3年生のとき、うさぎが飼いたかったのに諦めた記憶がある。
 だから親戚が旅行に行っている間、その4日間は、とても楽しくてずっと気持ちが弾んでいた。
 ハム子がエサ食べてる。
 ハム子が水飲んでる。
 ハム子が毛づくろいしてる。ハム子が、ハム子が。
 一度もピピとポポとは呼ばなかったけれど、一生懸命世話をした。4日なんてあっという間だった。だから僕は、ハムスターを返す時間を少しでも遅らせようと、ゆっくりゆっくり歩いているのだった。
 川沿いの道の、ちょうど桜の木の植えてあるあたりに来た時のことだった。春はこのあたりで花見をする人が多くて、とてもにぎわっているんだけど、今はさすがにシンとしていて、葉っぱさえも冬風でむしりとられた桜の木が、枝を空に突き刺すようにピンと伸ばしている。
 その桜の下に、ひとつの人影があった。
 あれ、と思った。
 その人は道の方に背を向けて、川の方に顔を向けて座っていた。薄茶色の枯れた草地に、ベルベット素材の深紅のワンピースを着たその人は、まるで突如として現れた炎の精みたいだった。
 僕は、その西洋人形のような後姿に見覚えがあった。
「……紅絽子(くろこ)ちゃん?」
 僕の声に、その人は首だけをねじって顔を少しこちらに向けた。大きな瞳に、その瞳の上で切りそろえられた黒い前髪。やっぱり紅絽子ちゃんだった。
「あの、どうしたの、こんなところで。蒔田は一緒じゃないの?」
 僕はハムスターの入ったカゴを持ったまま、川べりの草地に足を踏み入れた。草はほとんどが薄茶色で、足を踏み出すたびにカサカサ乾いた音を立てた。
 僕が近付くと、大きな瞳で紅絽子ちゃんが見上げてきた。視線は僕の顔というより、僕の手元、ハムスターのカゴに注がれていた。
「これね、ハムスター。親戚の家に返しに行くところなんだ」
 ハムスターのカゴはバスタオルで包まれているのだけど、そう言った瞬間、中でピピとポポが暴れる音がした。ドタバタ、大騒ぎだ。
「あれ、急にどうしたんだろ」
 二匹の動きでカゴが小さく揺れるくらい。あまりに騒ぐものだから、僕はピピとポポの様子を窺おうとした。
 そのとき、紅絽子ちゃんの持っているものに気付いた。持っているというか、胸のあたりに抱えているという感じ。
 一瞬、僕は言葉を探してしまった。
 それが見たこともないイキモノだったせい。
「……そ、それって?」
 僕の視線に気付いた紅絽子ちゃんは、まるでそれを守るように、サッと、巻いていた黒色のマフラーの先で隠してしまった。
 一瞬しか見えなかったけれど、それは黄色の蛇状のものだった。たぶん。
 ムラサキさんだったら紫色だから、違うよね。
「えー……っと」
 どうしよう。あんまり詮索しない方がいいかな。なんたって紅絽子ちゃんは蒔田の妹だから、不思議なイキモノと一緒にいることが、そんなに不思議なことじゃないもの。
 それに。
 なんと言うか。
 僕は無言の圧力のようなものを感じて落ち着かなかった。別に紅絽子ちゃんがトゲトゲしい瞳で僕を見ているわけでも何でもないんだけど……。
 何か目には見えないもので、放っておいてと言われているようだった。
「じゃあ、その、またね」
 僕はまだカゴの中で暴れまわっているピピとポポを抱えて、そこを離れた。


☆★☆


 親戚の家、それは父さんのお兄さんの家なんだけど、ハムスターのカゴを抱えて現れた僕をあたたかく迎えてくれた。寒かったでしょうと、成り行きでお茶をご馳走になることになった。
 テーブルの上には、蜂蜜入りのホットミルク。
 隣には、お皿いっぱいのシシャモが置かれている。
「………」
 僕はそれを見て、父さんのお兄さんがなかなかに意地悪な人だったことを思い出した。
「緋那央くんはいくつになったんだったかな?」
「13です」
「いや、身長の方は」
 父さんのお兄さん、僕からみると伯父さんは、ニコニコと笑ってそう切り出す。ちっとも悪気はないような感じで。僕が最も気にしていることを。
 伯父さんは萌黄色の和服を着て、口ひげを生やしている。その口ひげを撫でながら、僕の答えをニコニコ笑ったまま待っている。答えなければ帰してもらえないような勢いだ。
「……151です」
 僕の答えを聞いて、伯父さんは何度か頷いた。頷いただけで、何の慰めもくれない。そうかの一言もなく、自分の前に置かれたコーヒーを悠然と飲んでいる。質問したことすらなかったみたいな感じだ。
 僕はやけくそのようになって、シシャモをばりばりと頭からかじり、ホットミルクをぐいぐい飲んだ。
 どうせちびっこですよ。
 ふんふんふーんだ。
 僕がホットミルクをぐいーっと飲み干したところで、部屋の奥から声がした。
「あらあらもう、あなたったら人が悪いわ。緋那央くん、ごめんなさいね」
 伯父さんの奥さんだ。和服姿の伯父さんとは違って、こちらはふわりとしたスカート姿だった。きれいな模様のついた缶の箱を持ってこっちにやって来る。
「いやぁね、シシャモなんて。クッキーはどう?」
 伯父さんの奥さんはきれいな缶の箱を開けて、僕に出してくれた。嬉しくて、さっそく手が出た僕に向かって一言。
「カルシウム入りよ」
 まったく悪気のない言葉らしかった。
 僕がクッキーをつまんだまま動かなくなってから初めて、その言葉の意味に気付いて慌てて言った。
「ご、ごめんなさい。そう書いてあったものだから。えっと他にも、小麦胚芽とかビタミンも入っているのよ、カルシウムだけじゃないのよ」
 伯父さんの奥さんは缶の中に入っていたらしい小さな紙を、表にしたり裏にしたり、何度もひっくり返して僕にその証拠を見せた。それから最後にもう一度「ごめんなさい」と言ってションボリしている。
 僕はどうしてもこの伯父さんの奥さんを、素直におばさんと呼べない。何となく、おばさんという言葉が似合わないように思うんだ。
 その伯父さんの奥さんが、ピピとポポの飼い主だ。ピピとポポは日当たりのよい窓辺で、今は斜め上を見上げて鼻をヒクヒクさせている。
「ピピとポポは、おたくにご迷惑をかけなかったかしら」
 伯父さんの奥さんの声に、僕は首を横に振った。
「ちっとも。すごく大人しくてかわいかったよ」
 僕はピピとポポが4日間色々と見せてくれた愛らしい姿を思い出して、知らない内に笑顔になっていた。
「緋那央くん、ハムスターは好き?」
「うん、すごくかわいいと思う」
 僕がピピとポポの方に向いたまま頷くと、
「じゃあ今度ポポの姉妹が赤ちゃんを産んだら、分けてあげましょうか」
 と、伯父さんの奥さんに言われた。
 それはすごく嬉しいことだったけど……。
「ううん。うちはペット、駄目だから」
 それまでピピとポポの話題には我関せずのポーズで、新聞を広げて読んでいた伯父さんが、急に思いついたように口を開いた。
「そうか、あいつはまだ猫鍋のことで怒っているんだな」
「ネコナベ!?」
 僕が驚いて聞き返すと、伯父さんは新聞を折りたたみながら言った。
「お前の父さんは、子供の頃よく捨て猫を拾ってくるやつでね。昔は今ほど豊かじゃなかったから、猫にやる餌だってばかにならない。うちの両親は動物好きで、最初はまぁ猫に餌をやるのだって仕方ないと思って太っ腹にくれてやっていた。だけどそれにも限度がある。次第にこっちのご飯まで削られていくようになった。おいおいこちとら成長期だぞ、ご飯が足りないことが最もこたえる時期なんだ。それで頭に来てな、ある日、あいつが拾ってきた猫を『猫鍋』にして食ってやった――」
 う、うっそー!
 僕はびっくりして思わず唾を飲み込んだ。伯父さんの奥さんも驚いたのか、パチパチと瞬きしている。
 しばらくしてから、伯父さんはニヤリとして続けた。
「――と言ったら、あいつはそれを本気にして、しばらく口を利いてくれなかったものさ」
 な、なぁんだ、もう! 嘘だったのか。
 僕がホッとして息を吐き出すと、伯父さんは締めくくるようにこう言った。
「緋那央くん、きみはあいつによく似ているよ」
 あいつと言う時の伯父さんの顔は、いつもの大人らしいすました顔じゃなくって、どこか腕白小僧のお兄ちゃんの顔になる。
 僕にはそれがとても面白く思えた。
 

 
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