★+-++-++ さよならナキキイロカガチ ++-++-+★
   
 
3.
「――紅絽子!」
 遠くの方から、とても大きな声が走って飛んできた。それはまるで本当に、その声に足が生えていて、スタタッと走ってきたような感じだった。
 僕も紅絽子ちゃんも、思わずビクッとした。それは黄色のトカゲも同じだったよう。黄色のまつげのついた大きな目が、クルンと大きく一回転した。
 その瞬間、トカゲが大きな口を開けた。
「―――」
 公園の遊歩道から蒔田が走ってくる。何か叫んだ。紅絽子ちゃんが慌てたように、黄色のトカゲを腕から放した。地面に降りた黄色のトカゲは、ポカンとしている僕の方に向けて大きな口を開けた。
 え……?
 どういうこと。
 トカゲの大きな口の、その奥に、メラメラと燃えている炎のようなものが見えた。焚き火をした時のような、熱せられた空気。そんな熱を感じた。
 その途端。
 ボウッという音がした。
 赤色と黄色の混じったような、まるでピンクグレープフルーツをふたつに割った時の断面のような炎が、僕めがけて一直線に向ってくる。炎の先端は、意地の悪い妖怪の舌先のようにビロビロ揺れて、いくつにも不気味に分かれていた。
「わっ……」
 と言ったかどうか。向かってくる炎に、僕の足は凍りついたように動かない。僕はどうすることも出来ず、顔の前で手を交差させた。
 でもその少し前、瞬きするよりも短い瞬間に。
 僕の前にスルリと人が立った。
 ふわふわのファーをなびかせて、黒いコートの目が覚めるような真っ赤な裏地をヒラリとひらめかせて。
 ムラサキさんが僕の前に立った。――炎よりも早く。
 蒔田の叫ぶ声。必死で走ってくる。風にあおられて毛糸の帽子が飛んだ。ムラサキさんが振り向こうとして止まった。横顔にはいつもの笑みがあった。
 次の瞬間、ゴオッという炎の音。目の前がオレンジ色に染まった。眩しくて目を開けていられないくらいに。
 そして急に常夏の島に放り出されたみたいに熱くなった。ジリジリと焼かれていくような熱さじゃなくって、どこか包み込むような温風のような熱さだった。
「――小日向!」
 次に僕が目を開けたとき。
 目の前には蒔田の顔があった。取り乱して心配している顔だった。僕をクルリクルリと回転させて、何かを確認している。
 でも僕はビックリして、蒔田に肩を掴まれて回転させられながらも、視線はあるものに釘付けの状態だった。
 風で飛んだ蒔田の白い毛糸の帽子が、少し離れたところに落ちている。ポツンと、まるで大きな雪のかたまりみたいに。
 でもそれを見ていたわけじゃないよ。
 その毛糸の帽子がなくなったことで現れた、蒔田の頭のてっぺんを見ていた。
「……蒔田、頭、どうしたの?」
「え、あっ!」
 蒔田は頭に手をやって毛糸の帽子がないことに気付くと、唇を少し尖らせた。
「ナキキイロカガチのせいだよ」
「あのトカゲの」
「そ。あいつのあの炎に触れると、こうなるんだ」
 そう言って、蒔田はキンキラ光る黄金色の頭をさすった。
 じゃあ、ムラサキさんは……!?
 僕が視線を移動させると、ケホッと金色のセキをしている人の姿があった。顔も腕も足も、ふわふわのファーもコートも、すべてキンキラに光っているムラサキさんの姿が。
「う、わぁ」
 まるで全身を金粉でまぶしたようだった。
 ムラサキさんは僕の視線を感じて、ニタリといつもの笑みを見せた。キンキラの笑み。まるでファンタジー映画に出てくるエルフみたいだった。
 不謹慎かもしれないけど、僕はちょっとスゴイと思ってしまった。キンキラのムラサキさんがいつもより、なんて言うか人間離れしていてすごくかっこよく見えた。だって光っているように見えるんだもの。
 そんなメルヘン世界に目がくらんでいるような状態の僕をハッとさせたのは、蒔田の怒った声。
「紅絽子!」
 少し離れたところに立っている紅絽子ちゃんに向って、蒔田は大きな声を出した。紅絽子ちゃんは黄色のトカゲをいつの間にか、また胸に抱いていた。
「今朝も言ったけど、そいつは飼えない。今も見ただろ。小日向がキンキラになったらどうするつもりだったんだよ!」
 蒔田の声に、紅絽子ちゃんはキュウッと唇を引き結んだ。ジリッと、右足がかすかに後ろに下がった。それを見て蒔田が再び大きな声を出した。
「そいつをこっちによこせ。お前ができないんだったら、ヲレが始末する」
 始末する。
 その言葉に、紅絽子ちゃんはこしょこしょっと何かをささやいた。次の瞬間、紅絽子ちゃんの身体がふわりと空中に浮かぶ。
「魔法を使うなんて卑怯だぞ、紅絽子!」
 蒔田がダッシュして、空中に浮かび上がっていく紅絽子ちゃんを追いかけた。
 けれど、一足遅かった。紅絽子ちゃんは完全に空高く浮かんで、公園のプラタナスを飛び越えて行ってしまった。
「紅絽子のやつ……!」
 悔しそうにプラタナスの木を睨んでいる蒔田に、僕は近付いた。今にも雪が降りそうな空は灰色で、プラタナスの木は寒そうに枝を揺らしていた。
「ねえ、蒔田」
 声をかけても、蒔田はプラタナスの木を睨んだままだった。僕は蒔田の隣に立って、プラタナスの木ではなく、ベンチに置いた自分のスケッチブックを眺めながら言った。
「あのさ、紅絽子ちゃんの話も聞いてあげた方がいいんじゃないのかな。一方的に怒るよりも、何て言うか……。紅絽子ちゃん、あの黄色のトカゲのこと、とっても気に入っているみたいだし。キンキラになるのはちょっと困るかもしれないけど、何とか、あの炎を出させないようにする手はないの?」
 その時、僕は、ベンチの上のスケッチブックを眺めていたから、蒔田の表情の変化には気付かなかった。
 蒔田はクルリと向きを変えて、地面に落ちたままになっていた白い帽子のところまで歩いていく。
「ねえ、蒔田」
「ね、小日向。何かをうまくやっていくには、いつだって制約ってものが付きまとうんだよ」
 帽子を拾い上げて、それを二・三度叩いてからかぶり直すと、蒔田はこっちに振り向いた。大人みたいな引き締まった顔をしていた。
「ヲレだって紅絽子がナキキイロカガチのことを気に入っていることは分かってる。でもね、何でも許してやれるほど、妖精との付き合いは簡単じゃないよ。それに……」
 少し言いよどんでから、蒔田は続けた。
「ナキキイロカガチは、大きくなったら竜族の天敵になる。ムラサキの天敵だよ。紅絽子はそれを知らないんだ。小日向だって、それを知ったらどうする。ムラサキの天敵になるようなものを飼える?」
 僕は思わずムラサキさんに視線を走らせた。キンキラになったムラサキさんは、少し困ったような顔で、やっぱりいつものように黙っていた。
「どうして紅絽子ちゃんに、そのことを話してあげないの……」
「言えるわけないよ」
 蒔田は厳しい顔だった。
「どうして」
 僕は蒔田の傍まで小走りで行った。いつもは切れ長の瞳でジッとこっちを見詰めてくる蒔田が、今日はすぐに僕の顔から視線を外した。
「どうしてさ、蒔田」
 いつもとは違う蒔田の雰囲気に押されながらも、僕は引き下がらなかった。何も知らないで頭ごなしに反対される紅絽子ちゃんのことを思うと、どうしても納得できなかった。
「紅絽子ちゃんにちゃんと話してあげるべきだよ。ナキキイロカガチが飼えない理由が分かれば、紅絽子ちゃんだって納得すると思う」
 僕は少し感情的になっていた。反対に、蒔田は落ち着いていた。
「小日向、きみ。紅絽子に、ムラサキかナキキイロカガチか、選ばせろって言うのかい?」
「それの何が悪いの」
 ほとんど蒸気でも吹き上げそうになっている僕に向って、蒔田は白い息と共に静かな言葉を吐いた。
「紅絽子はきっとムラサキを選ぶよ。ナキキイロカガチを諦める。それはつまり、自分で何かを選んだら、自分で何かを諦めなきゃいけない記憶を作ってしまうことになるんだよ。そういうことっていつまでも覚えてて、夜ひとりになった時なんかに、急に思い出して泣きたくなるんだ。ヲレはそう思う。そんな時、優しく慰めてやれるような人が、うちにはいないんだよ」
「………」
「今はまだ早いよ、もっと大きくなってからだっていいよ。紅絽子はまだ10歳なんだから。まだ、自分の選択に責任を持てる年齢じゃない。ヲレはそう思うんだ。だから今は頭ごなしに、駄目で押し通す」
「蒔田……」
 僕はつい紅絽子ちゃんのことを、自分と同じように考えていた。紅絽子ちゃんが、どんなに大人びていようと上手に魔法を使おうと、10歳の女の子なんだってことを忘れていた。
 10歳の女の子にとって、自分の気に入っているものと自分の傍にいつもいてくれる人を天秤にかけるのは、あまり好ましいことじゃないよね。選ぶって、実は淋しいことだったりもするんだよね。
 僕、そんなことをチラッとも考えなかった。
 僕は何だか自分が恥ずかしくて、蒔田にも紅絽子ちゃんにも申し訳ないような気持ちになっていた。
「そんなわけだから、またな。小日向」
 蒔田は僕の肩をポンと叩いて、公園の石畳を蹴って走り出した。灰色の空の下で、蒔田のかぶっている白い毛色の帽子が徐々に遠ざかっていった。
 

 
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