4. 夕方近くになっても、紅絽子ちゃんは見つけられなかった。僕は公園で蒔田と別れてからも、紅絽子ちゃんを捜していた。 ふと、思ったんだ。 蒔田は蒔田なりの考えで、黄色のトカゲ、ナキキイロカガチを飼うことに頭ごなしに反対していた。それなら紅絽子ちゃんは紅絽子ちゃんで、何か考えがあるんじゃないのかって……。 思ったことは思ったんだけど、今度はなかなか紅絽子ちゃんを見つけることができなかった。もしかしたら、べにほほあかっきの卵を食べた時に借りた、魔女のペンダントで姿を消しているのかもしれない。 ミドリ町をあちこち歩き回っている間に、灰色の雲はどんどん厚みを増して、ほとんど太陽の光をさえぎってしまった。 さすがに、ハムスターを返しに行ったにしては帰りが遅い、なんて家族が心配するかもしれないと思って、僕は一旦家に戻ることにした。 大通りに面しているのはまるでマッチ箱を並べたようなマンション。 そのマンションの横から伸びる細い道を、小高い丘に向って歩くと僕の家が見えてくる。その道なりには、僕の家とそっくりの建売住宅が続いているから、時々、父さんが酔っ払って帰ってくる時なんかはよく間違えないなぁなんて思っちゃうくらい。 その細い道を、自分の手にハァハァ息を当てて暖めながら歩いていると、ブゥンと原付バイクの音がした。 道の真ん中を歩いていた僕は、前から来るはずの原付バイクをよけようと思って顔を上げた。 そのとき。 バイクの向こうに、人の姿を見つけた。思わず僕はバイクをよけることも忘れて走り出してしまった。 「あぶないぞ!」 原付バイクに乗っていたお兄さんにすれ違いざまに怒られて、僕は「ごめんなさい」と言いながら、でもちっとも反省していなかった。 紅絽子ちゃんがいたんだ。 いつも黒と白のブチのある猫が、長い尻尾をクルンと自分の身体に巻きつけて日向ぼっこをする自動販売機のところ。今日はさすがに寒くてブチの猫の姿はなかった。代りに紅絽子ちゃんが、ちょこんと立っていた。 「ど、どうしたの?」 走って紅絽子ちゃんのところに行くと、黄色のトカゲの姿が見えた。しっかりと抱きかかえられている。寒そうに、黒色のマフラーにくるまっていた。紅絽子ちゃんのマフラーだ。紅絽子ちゃんは自分のマフラーを外して、黄色のトカゲに貸してやっていた。 僕は、紅絽子ちゃんの鼻がちょっぴり赤くなっていることに気付いた。 「寒いから、えっと、とりあえず、うちにおいでよ」 ついて来てくれるかどうか分からなかったけれど、僕が先にたって歩き出すと、紅絽子ちゃんは僕の後をついてきた。 赤茶色の玄関ドアをあけて「ただいまー」とリビングに向って声を投げて、紅絽子ちゃんを手招きして招き入れたところで、母さんが玄関まで出てきた。 そして開口一番。 「あら、あら、あら!」 よく分からない笑みを浮かべて、母さんは僕の頭の後ろを何故かバチンと叩いてきた。 「なにすんの、痛いよ」 「いやぁね、緋那央ったら隅に置けないわ。こんなかわいいガールフレンドを連れて来るなんて」 そう言われた瞬間、僕はめちゃめちゃ慌ててしまった。 そんなんじゃないよと言いながら母さんの背中を押してリビングに押し込む間に、紅絽子ちゃんには東側のドアを指差して「そこに入って待ってて」なんて言って、リビングで聞き耳を立てていたのか姉ちゃんが飛び出そうとするのを何とか阻止して、母さんにあったかいココアを入れてもらって、それを部屋に運びながらリビングを振り向いて、母さんと姉ちゃんに「来ないでよ」と釘をさす。 その間、ずっと何だか顔がポッポと燃えていた。 そんなんじゃないのに……! 僕の慌てぶりとは対照的に、紅絽子ちゃんはいつも通りだった。ほとんど無表情で、僕の部屋の奥にある窓のところに立って、灰色の雲を眺めている。黄色のトカゲは相変わらず、紅絽子ちゃんの腕の中だ。 「あの、ココア」 窓のすぐ傍にある学習机の上に、とりあえずココアを置いた。ひとつを紅絽子ちゃんに差し出すと、紅絽子ちゃんは黄色のトカゲを肩に乗せてカップを受け取った。 黄色のトカゲは、紅絽子ちゃんの巻き毛に顔を突っ込んだり、耳に手をかけて頭の上にのぼったりしていた。 僕は肩にかけていたカバンを外して、中に入れていたスケッチブックを取り出した。それを学習机の上に置くと、紅絽子ちゃんが覗き込んできた。こしょこしょっと、いつもの小さな声で聞いてくる。 「うん、まだ途中だけどね。紅絽子ちゃん、カーラがどうなるか、気になる?」 コクンと切りそろえられた前髪を揺らしながら、紅絽子ちゃんが頷いた。その拍子に黄色のトカゲが落っこちそうになって、慌てて紅絽子ちゃんの髪の毛にしがみついた。ちょっとイグアナに似ているような気がする。 何か別のことが頭をよぎりそうになって、僕は黄色のトカゲから視線を外した。 「結局カーラはね、とても長い時間がかかったんだけれど、お兄ちゃんと仲直りするよ」 本当は物語のラストをこんな風に話してしまうのは好きじゃないのだけど、僕は言った。紅絽子ちゃんはスケッチブックをじっと見詰めている。 「カーラはね、お兄ちゃんとケンカしたまま結婚して町を離れてしまうんだ。カーラが結婚して住むことになったのは、生まれ育った町とは大違いの、とてもとても大きな街、大都会でね、そこでカーラの瞳は輝きをどんどん失っていく。なにを見ても、気持ちは晴れないし、何をしても、瞳が輝くことはない。カーラは人形よりも生気のない女の子になって、とうとう病気になってしまうんだ」 病気になってしまったカーラ。 その報せは、カーラの生まれ育った町にも届いた。心配になったカーラのお兄ちゃんが都会に向って出発しようとしたとき、町の人たちがみんな、心尽くしのお見舞い品を持って現れた。 大きな荷物を抱えて現れたお兄ちゃんを、カーラは最初、素直に受け入れられなかった。だけど、お兄ちゃんの瞳に映っている自分を見てようやく、カーラはあることに気付く―― 「そうなんだ。カーラはね、どうして自分の瞳をみんなが美しいって誉めてくれるのか、ようやく気付いたんだよ。カーラの瞳が美しいのは、美しいものを絶えずその瞳に映していたからなんだ。つまり、本当に美しいのは町の人たちであり、カーラのお兄さんでもある。みんなの優しくて美しい気持ちを、カーラは瞳に映すことのできる力があったんだ」 でもきっと、それは誰にでもある力。 ちゃんと目と目を合わせて、お互いの顔を映しあえば、その瞳は世界中の宝石を集めたよりもずっとずっと美しい輝きを放つに決まってる。 僕の話を聞いていた紅絽子ちゃんは、ほんの少し頷いた。どうやらこのお話を気に入ってくれたようだった。 そのとき。 窓の外をフワリと、白いものが落ちてきた。 「わ、雪だ。とうとう雪が降ってきたよ」 僕がそう言うと、紅絽子ちゃんは窓にペタリと張り付く勢いで顔を寄せた。窓ガラスが紅絽子ちゃんの吐く息で白く曇る。 それが僕に、白い、毛糸の帽子を思い起こさせた。 「ねえ、紅絽子ちゃん。その、黄色のトカゲのことだけど……」 とっても言い出しにくいなぁと、僕がモジモジしていると、紅絽子ちゃんがいきなり僕の手を掴んだ。 こしょこしょっと、何か小声で言う。 だけど、それはあまりにも小さな声で、僕には少しも聞き取れなかった。 「え? なに?」 聞き返した瞬間、紅絽子ちゃんと僕は雑木林の中にいた。あの、マッシロシロンと追いかけっこをした、あの雑木林の中だ。 「え? ええーーっ?」 一瞬のことで、僕はビックリして周囲を何度も見回した。寒そうに身をよじっているみたいな木、小さな葉っぱをかろうじてつけている木、枯葉の一枚もついていない木、間違いなく、あの雑木林だった。 「ま、魔法を使ったの?」 僕がおそるおそる聞くと、紅絽子ちゃんはコクンと頷いた。それから、黄色のトカゲ、ナキキイロカガチを地面におろすと、一生懸命ポケットを探っている。 しばらくして、ポケットから出てきたのは靴、それも僕の靴まで、引っ張り出している。 どういう仕掛け、というか、魔法なんだろう。ただただビックリしている僕の手を引っ張って、紅絽子ちゃんは歩き出す。その前を、ナキキイロカガチが歩いている。 「どこに行くの?」 冷たい風が、僕たちの横をピュウピュウ言いながら歩いているみたい。雪は木の枝を器用にスルリスルリと通り抜けて、僕たちの上に華麗に着地する。油断していると、首とシャツの間に飛び込んでくるやつもいる。 そして、小さな雪の一片が、ナキキイロカガチの背中にフワリと着地した。 途端―― 雑木林は一瞬にして、光る電飾を付けられた遊園地のパレードみたいになった。木が光りながら、くるくる回転しているんだ。それもメリーゴーラウンドみたいに。 「な、な、な、な……」 驚いたのはそれだけじゃない。雪が、光りながら落ちてくる。まるで小さな光の妖精がたくさん飛んでいるみたいに。ひらひら、ふわふわ。 その光る雪が、たくさん降ってくる地点があった。 中心にいるのは、金色のトカゲ。 ナキキイロカガチは黄色じゃなくって、金色になっていた。金色になったナキキイロカガチは、背中で雪を溶かしながら、それを何かに変えている。 眩しくてよく見えない。それでも何とか目を凝らすと―― 「翼だ……!」 僕がそう言ったのとほとんど同時に、ひときわ眩しい光に包まれた。金色の光の柱が、空へ向って一直線に伸びた。それは灰色の雲を突き破り、雲の間にポッカリと大きな穴を開けた。 バサリ。そんな音に空から地上に目を移すと、ナキキイロカガチがこっちに顔を向けていた。 長い首を下に垂らして、どこか上目遣いでこっちを見ている。黄色のまつげも伏せられていて、何だか悲しそうだった。 僕の隣に立っていた紅絽子ちゃんが、ナキキイロカガチのところまで歩いていく。さっきより、ナキキイロカガチが一回り大きくなっているような気がする。 紅絽子ちゃんは自分のマフラーを、ナキキイロカガチにかけてやった。 頭を撫でて、大きく頷く。空を指差して、飛んでごらんと言っているようだった。 ナキキイロカガチはしばらく頭を振って、紅絽子ちゃんの巻き毛に顔を突っ込もうとしていた。だけど、紅絽子ちゃんにやんわりと拒まれて、淋しそうに頭をもたげた。 ピィィィィーイ。 まるで笛のように甲高い声で鳴くと、ナキキイロカガチが翼を動かした。金色の光の中を旋回するように、ナキキイロカガチが飛んでいく。 翼の生えたトカゲ。 まだそんなに大きくないけれど、これからうんと大きくなるのかもしれない。もしかしたらまた地上に戻ってきて、ムラサキさんのように人間に化けたりするのかもしれない。 でもそれはずっとずっと先のことのように思う。 紅絽子ちゃんは飛んでいくナキキイロカガチを、無表情で見送っていた。金色の尻尾が雲間に見えなくなるまで、じっと空を見上げて。 そんな紅絽子ちゃんの長いまつげに、雪が一片、落ちてきた。それがナキキイロカガチからのお別れの言葉みたいで、でもそれもすぐに溶けてしまって、淋しそうで悲しそうで、僕は思わず目が熱くなった。 ところが。 紅絽子ちゃんは、ナキキイロカガチの尻尾が雲に隠れて見えなくなった瞬間、スタスタと歩き出した。 感傷も名残惜しい心残りみたいなものもなし。 とってもドライに、僕までそこに置き去りにして歩いていく。 「わあ、待って、待って」 僕は慌てて紅絽子ちゃんの後を追いかけて、隣に並んだ。あんなに気に入っていたナキキイロカガチが飛んでいってしまったのに、紅絽子ちゃんはまるでそんなことなんてなかったみたいにいつもの表情だった。 もしかしたら。 紅絽子ちゃんは、ナキキイロカガチが大きくなったらムラサキさんの天敵になるって知っていたのかもしれない。 あんな風に雪を翼にして飛んでいくタイミングを、ただ待っていただけなのかもしれない。それを蒔田は、飼いたいと思っているって、勘違いしたのかもしれない。 本当のところは分からない。 いつか、僕たちがふたりとも大きくなったら、聞いてみようかなと思う。 さて。 さすがにもう夕方だし、紅絽子ちゃんをひとりで帰すなんて心配だから、僕はそのまま紅絽子ちゃんを家まで送っていくことにした。 いつものミドリ町のレンガの家が見えてくると、玄関ポーチの前にはムラサキさんと蒔田が立っていた。ムラサキさんはまだキンキラのままだ。 二人とも紅絽子ちゃんの姿が見えると、ホッとしたように笑顔になった。蒔田はまだお兄さんらしく腕組みをして、怒っているんだぞというポーズだけはしているけど、顔は笑顔なんだから説得力がないよね。 「ちゃんと仲直りしてね」 僕がそう言うと、それまでスタスタ歩いていた紅絽子ちゃんが、門の前で立ち止まった。振り返って、大きな瞳で僕を見上げてくる。 どうしたのかなと思っていたら、なんと、にこーっと笑ったんだ。 ほんとだよ! にこーっと、普通の女の子みたいに笑ってから、紅絽子ちゃんは家へと走り出した。 ドキドキしている僕を残して――! 蒔田は紅絽子ちゃんを家の中に招き入れながら、僕に片手だけでゴメンという風に手をまっすぐに立てた。僕も何か返したかったけれど無理だった。 僕、今日はあんまり眠れないかもしれない。 何だか地面がすべてスポンジケーキになってしまったみたいに、僕はふわふわ飛んでいるように歩いた。スポンジケーキのような地面には、ホイップクリームのように白い雪が積もり始めている。 まさか紅絽子ちゃんがあんな風に笑うなんて、ね。 その驚きは、なんだか胸がくすぐったくなるような、どうしても顔がニヤけてどうしようもないような歓びがあった。だけど、しばらく歩いてからふと、気付く。 蒔田のお母さんは蒔田が2歳の時に亡くなったと、蒔田自身が言っていた。あれ、ということは……。紅絽子ちゃんが10歳で、蒔田は13歳……。 計算が、合わなくない? 僕は初めて、そのことに気付いた。 |
| 小日向のドキドキは恋なのか。 そして紅絽子は本当に蒔田の妹なのか。 それはまた別の機会に。 (2006.01.29) |
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