「ねーあんた馬鹿じゃないの?」 今日、家のリビングで朝ごはんを食べていると、姉ちゃんが僕のことを笑いもせず、真顔でそんな風に言ってきた。 いつもいつも姉ちゃんは僕を馬鹿にするけれど、それにはたいてい笑い声がセットになっている。ファーストフードのセットメニューがハンバーガーとポテトと飲み物がセットになっているのと同じように、姉ちゃんが僕を馬鹿にする時には、僕を馬鹿にする言葉、僕を笑う声、そして笑っている顔がセットになっているのが常だった。 それなのに、今朝の姉ちゃんは真顔だった。 僕はそのとき、一晩考えて悩んでウンウン唸って立てた、ある作戦について考えていた。ある作戦と言っても、まだ名前しか決まっていない。 『ムラサキさん追跡作戦』 僕はてっきりその作戦について独り言でも発してしまったのかと思って、飲みかけたホットミルクを噴き出しそうになった。顔がひきつる。 「なっ、なにが?」 「今日はうちの学校、臨時休校でしょ。なに制服着てんの?」 「あっ」 僕は自分のアゴを引いて、自分の胸から下を眺めた。つい朝起きてからのいつもの癖で、無意識の内に制服を着てしまっていたみたい。 そうなんだ。 なんて幸運なことか、僕たちの通う中学校が臨時休校になったんだ。それも3月13日に! ホワイトデーの前日に! だから僕は『ムラサキさん追跡作戦』なんて、そのまんまの作戦を考えたんだ。 どうして僕がムラサキさんを追跡しようと思ったのかって? その理由は宇宙に存在する星と同じくらいたくさんあるけど、1番大きな理由は、その作戦の決行日が3月13日だということ。 ムラサキさんがホワイトデーに何を用意するのか。 それが知りたかったから。 僕はいそいそとブレザーを脱いで、最近ようやく一度も間違えずに結べるようになったネクタイを外すと、まだ真顔のままでいる姉ちゃんにチラと視線を送った。 臨時休校になって、どうして機嫌が悪いんだろう。 普通はさ、姉ちゃんの性格からしたら、やったー授業がないわ、ラッキー、なんて、どういう方向で喜びを表せばそうなるのか分からないけれど、喜び余って僕にプロレス技でもかけてきそうなのに。 今朝はムスッとして真顔なんだもんな。 同じ親から生まれたはずなのに、僕には姉ちゃんの考えていることがさっぱり分からないよ。 そんなわけで、臨時休校になったこの1日を大切にするべく、僕は『ムラサキさん追跡作戦』を決行することにしたのだ。
なんて、仰々しく言っちゃったけど、実は作戦なんてものはないに等しいんだ。 第一、僕はムラサキさんがいつもどんなことをしているかまったく知らないし、第二に、僕に追跡なんて探偵みたいなことが出来るのかどうかも怪しいっていうか、それが最も作戦の遂行を困難にさせていると思う。 だから僕が家を出て10分で、足取りにトボトボという効果音を付けたくなっても仕方ないと思わない? だって何をどうすればいいのかさっぱり分からないんだ。蒔田の家の前で、ムラサキさんが出てくるのをひたすら待つの? でもムラサキさんがもし、本当にそんなことをするかどうかは分からないけど、飛んでいったらどうするの。 あの派手な服の下からバサーッと、服よりももっと派手な羽が生えてきて、玄関を出たらすぐに飛んでいくという可能性はゼロじゃない……と思える。 と言うか、ムラサキさんに関しては何でもアリなような気がする。 そりゃ蒔田に聞いたら、ムラサキさんについて知っていることを教えてくれるとは思うよ。玄関明けてすぐには飛ばないとか、服の下から羽は生えてこないとか。 でも、そんなこと聞けっこないよ。 だって。だって。だって! なんでそんなこと聞くのって、聞かれたら、うまく誤魔化せないし、何より恥ずかしいじゃん。ムラサキさんのプレゼントを参考に、僕も自分のプレゼントを選ぼうかなー……なんて、母さんにプレゼントを買ってもらっているよりよっぽど恥ずかしいよ! こんなことなら素直に聞けばよかった。 先月のバレンタインデーの時に。 今更悔やんだってしょうがないんだけどさ。 僕は『立つ鳥先に立たず』という、立つ鳥跡を濁さずと後悔先に立たずということわざのミックスバージョンを頭に浮かべて、それはいったいどういう気持ちなんだろうと想像していた。 このミックスバージョンは小学生の時に流行って、知っていることわざについて聞かれたとき、このミックスバージョンで答えてしまって笑われた同級生が何人かいたくらい。 いったいどうしてこんなものが流行っちゃったのか分からないけど、跡を濁さないように飛び立っても、やっぱり後悔しちゃうんだよ、だから飛び立とうと思っても色々考えてしまって竦んで飛び立てない、だから余計に後悔する、みたいな意味で僕たちの間では使われてた。 そんな風に考え事をしながら歩いていたせいだ。 「おや、何をしているんだい?」 なんて声をかけられて、僕は飛び上がりそうなほど驚いた。 声をかけてきた相手は、ミドリ町の動物病院から出てきたところだった。胸にダンボール箱を抱えている。 「小鳥さん」 こんにちは、と頭をさげた僕を、小鳥さんはジッと見下ろしてきた。てっきり学校のことを言われるのかと思って、僕が「今日は臨時休校で」というようなことをモゴモゴ言っていると、小鳥さんはニヤリと笑った。 「悩み事かい?」 ドキリとした。 「それも相談相手に困る種類の」 ドキリ――を通り越して心臓が痛くなった。 そんな諸々の状態が、ぜんぶ僕の顔には出ちゃっていたらしい。小鳥さんはますますニヤリと笑い、どうして分かったの、と聞いた僕をふふんと見下ろしてきた。 「今日の占いで、悩み事相談に乗るといい、と出ていただけさ」 それにしたって……。 僕の顔ってそんなにも考えていることが出やすいのかな。だったら今朝姉ちゃんが僕のことを真顔で馬鹿にしてきたのも、僕の顔に何かそういう考えが出てて呆れ果てていたのかも。 こいつ、中学生にもなって追跡作戦なんて小学生でもやらないようなことを、みたいな。 うっ、それはたとえ姉ちゃんでもそんなことを思われてたら、やっぱりイヤだ。 「そう言えば、どうして小鳥さんは動物病院に?」 僕の質問に小鳥さんは段ボール箱に視線を落とした。 「ブチさんが食あたりでね」 まったく食い意地がはっているからと、小鳥さんはまるで段ボール箱がそのブチさんという猫になったみたいに手の平で撫でていた。たぶん、中にブチさんがいるんだろう。 それで僕は、前にムラサキさんが行方不明になった時のことを思い出していた。 小鳥さんが空き地で猫たちにごはんをやっているとき、一番の食いしん坊だったのが、ブチ柄の太っちょの猫だった。 「あの太っちょの猫だよね?」 「そう。まったく、貰ったものを貰っただけひとりで食っちまうんだから、困ったものだよ。首輪の代りに『エサを与えないでください』って札でもつけるしかないかねえ。札が重けりゃ少しは痩せるだろうかね」 あははと笑っていた僕は、貰ったものという言葉でついついホワイトデーを連想してしまった。別にそんな風に連想しなくたっていいのに連想してしまって、笑い声が中途半端に途切れてしまった。 そんな僕の様子に気付いて、小鳥さんが聞いてきた。 「それで、悩み事はいったいどんなことなんだい?」 「うん、それが……」 ここでずばり、女の子ってホワイトデーに何を貰ったら嬉しいの、なんて聞けないのが僕だった。聞けるのならこんなに悩まないし、ね。一応うちには女の子とは言いがたいけど、姉ちゃんがいるわけで……。 それでも僕は、自分の中の気合とかいう根性の仲間らしきものを総動員してきて、でもやっぱり気合が足りないのか、モジモジしながら聞いた。 「小鳥さんはムラサキさんに、何か、あの、もらったことある?」 「そうさねぇ」 小鳥さんは少し考えてから言った。 「花、クッション、ぬいぐるみ、鈴、ボール、カニカマ」 「カニカマ?」 「猫にね」 小鳥さんの一言に、僕はガクーとなってしまった。 「猫にじゃなくて、小鳥さんには?」 「ああ、うん。お茶や手作りのお菓子にはいつもご馳走になっているよ」 おかげでミドリ町のお菓子屋さんには行けなくなったよと、小鳥さんは笑っている。 ムラサキさんの絶品のケーキやクッキーやパンケーキを思い出して、僕もそれはそうかもしれないと笑った。 だって、お店で買うより美味しいんだもの。 そこでハッとした。 いつも美味しいお菓子を食べている人に、どこかのお店で買ってきたお菓子なんてあげても、そんなに嬉しくないよね。だってもっと美味しいものをいつも食べているんだもの。 急にシュンとしてしまった僕を見て、小鳥さんは瞳を細めた。 「きみが誰に何をあげようとしているのかは分からないけど、あんまり悩んだところで仕方がないよ。たとえば、きみがわたしにドレスを送ったとする」 「ドレス?」 「そう、レースのいっぱいついたドレスさ。お姫様みたいな」 今、小鳥さんはブルージーンズをはいて、ざっくり編んであるセーターの上にジャケットを着ている。足元はスニーカー。髪型はまるで、ムーミンの中に出てくるチビのミイみたいに、頭のてっぺんでポコリとひとつにまとまっている。 その小鳥さんにドレス。 思わず笑ってしまった僕に、小鳥さんは「失敬だな」と言いながらも、口元は笑っていた。 「まぁとにかくドレスだ。ドレスを貰ったわたしがどうするか。わたしは人から貰ったものは自分で買ったものよりも大切にする性分でね、まぁあの部屋を見ればすぐに分かるだろうけど」 その言葉で、僕は小鳥さんの家のリビングを思い出した。 ダルマと変なポーズをした超合金ロボット、博多人形に、大きな提灯。あれはみんな貰い物だったのか。どうりで変な部屋だと思った。 納得している僕の前で、小鳥さんは続ける。 「恐らくわたしはドレスをそれはもう大切にするさ。ドレスを着て散歩をし、ドレスを着て猫にエサをやるかもしれない。そうしているうちに、わたしはミドリ町いちのドレスの似合う女になる、かもしれない。少なくとも、可能性はゼロとは言えない」 それはだって、小鳥さんはまともな恰好をすると美人だもの。 そんな言葉が頭に浮かんだけど、浮かんだだけで顔中がポワッと火のついたように熱くなって、恥ずかしくて言えなかった。でも、小鳥さんの言っていることは、何となく分かった。 その時には送られた人からするとちっとも役に立たないものでも、しばらくするとそうじゃなくなるかもしれないってことだよね。何がどう作用するのか、それは分からないし、それをどんな風に活用するのか、それも相手の考え次第。 でもやっぱりさ、せっかくプレゼントをするのなら、嬉しそうに喜んでいる顔が見たいって思っちゃうよ。 うーんと考え込んでしまった僕を見て、小鳥さんはふと思い出したように言った。 「きみにいいものをあげよう」 「いいもの?」 僕が見ている前で、小鳥さんはダンボール箱を抱えたまま、とても器用に体の横にぶら下がっていたバッグから1冊の本を取り出した。見たところとても分厚い本だった。 「これにね、3月の花冠の作り方が載っている」 「3月の花冠?」 「そう。3月は弥生、木々が芽吹き生気あふれる春のこと。そんな春に、あることをすると春の精が現れて踊るそうだ。その踊った跡に、とても美しい花冠が出来ると、この本には書いてある」 と真面目な顔して小鳥さんは言って、でもその後でニヤリと意味深に笑った。 「ただし、わたしはこの本を空き地で拾っただけで、この本に書いてあることが本当かどうか試してはいない。だからわたしはこれをいいものだと言ったけれど、きみの望むいいものかどうかの保障はしないよ」 「う、うん」 僕は小鳥さんにありがとうを言って、頭の中を3月の花冠のことでいっぱいにして歩き出した。でも思いついて振り返った。 「ねえ、小鳥さん。小鳥さんはムラサキさんになにか、その、あげたことある?」 僕の質問をまるで待ち構えていたように、小鳥さんは楽しそうに笑った。首をすくめて笑うばかりだったけれど、笑う合間に「さてねぇ」と言った。 でも僕はめげなかった。 「じゃあ、あのね、もし本当にドレスを貰ったら、小鳥さんはそのドレスを着る?」 「そうさね、わたしには他にもセーターとかジーパンだとかいう貰い物があるからね。大切にするって言うのは、色んな意味があるものさ」 やっぱり――! 僕は思わず小鳥さんの真似をして首をすくめた。やっぱりいくらなんでも、ドレスは着ないんだね。 僕は小鳥さんにうまくあしらわれてしまったように思ったけど、でもやっぱり小鳥さんには今の恰好が一番似合っているように思えて、ドレスは誰からもプレゼントされないことを祈った。 |
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